給湯室を掃除してうっすら残ったコーヒーの匂いに顔をしかめる。子供の頃からずるい人たちの象徴みたいに感じていた匂いだ。小学校、中学校、高校でも、職員室にしぶしぶ入るときに、必ず誰か先生の机の上でコーヒーの湯気が上がっていた。こちらには散々制限をかけておいて、自分たちは好きな飲み物を飲んでいる!と子供の頃は思っていた。

そして大人になって、上司が好きに使った給湯室でコーヒーの溢れた点をゴシゴシ拭いている。私は、お茶を飲むので、絶対に自分のものではない、点。お茶汲みが今どき慣習として残っていることにも腹が立つので、やたらに力を込めて拭く。

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そんなイライラがたたって体調をガッツリ壊した。旧態依然な会社で理不尽に怒鳴られてポキポキと心が折れる音がきこえるようだった。心療内科を受診することになった。静かに心の不調と向き合うのはこの頃は難しかったが、その後だんだん復調を感じることになる。

病院を出て、ふと右を見ると喫茶店があった。日替わりランチがあるらしく丁寧に書かれた今日のメニューが入口に立ててあった。喫茶店に入りたいと自然に思ったのはこのときが初めてかもしれない。気になるな、と思った。

後日母とその喫茶店に行った。ひとりで喫茶店に行くことに少し憧れがあったもののそうしなかった。体調がわるくなったときのことを考えると自信がなかったからだ。

ランチを2人前頼んだ。ずっしりした感じのテーブルで待つ。見渡すと常連さんらしき人達でカウンターもテーブル席も埋まっていた。カウンターのむこう側には、様々なデザインのコーヒーカップがずらりと並んでいてキラキラしていた。厨房ではマスターの奥さんらしき人がせっせとランチを作っているのが少し見えた。

喫茶店初心者にも安心な、どこか少し力の抜けた柔らかな雰囲気の店だ。その日のランチはワンプレートで、豚肉の生姜焼きやほうれん草のおひたしなど、意外と和風なものがたくさんのったものと、お味噌汁と白ご飯だった。お味噌汁は出汁の旨味にホッとする。甘い味付けの豚肉は柔らかい。おひたしも味がよく染みて、自分の家の味とは違うのにそれに匹敵する安心感だった。

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どのおかずもご飯が進む。食後には待ちに待ったコーヒーが運ばれてきた。気の良さそうなマスターは少しコーヒーを出すのが遅くなったことに申し訳さそうだった。お昼の混雑時だったので全然気にしていなかったのだが、とても丁寧な対応。職場でのクサクサした感情に支配されつつあった私は久しぶりに人の優しさに接し、心の氷った部分が温められるようだった。

さて、出てきたコーヒーは今まで私が匂いを嫌っていた飲み物とは全く別物だった。というか、こちらが本当のコーヒーですよ、といったところだった。豆の香りが、とか後味のキレが、とか今まで色んな人が言っていた売り文句は、今ここで飲んでいるコーヒーのためにあったのだと納得した。今まで、すすんで頼むことはなかった飲み物。おいしいコーヒーなら好きな飲み物の部類に入ることを発見し、自分のなかでは小さな衝撃だった。

お会計までずっと腰が低いマスターだった。威圧感がある人が全員ダメになっていたこの頃の私にとって信じられないくらい柔らかな人だった。

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しばらくして姉も誘い、今度は3人で、その喫茶店に行った。その日のランチはハンバーグ。メインは洋風でも全体の雰囲気はやはり和風だった。食後のコーヒーの香りを吸い込むと小さな幸福感がお腹に流れ込んでくる。

その帰り。ショルダーバッグをかけ、ゆっくりと歩く、自分の祖母よりもさらに高齢の方とほぼ同タイミングで店を出た。「もう、92才よ」と言っていた。そのおばあちゃんは、お店のご飯が美味しいとか、頻繁にここに来るとか、私達と会話をして「またね」と去って行った。とても年の離れた友達が出来た。優しい大人。職場しか見えていなかったけど、たくさんいるかもしれない。いるといいな。