日曜の朝、父は毎週ブラックコーヒーを飲んでいた。あまりにも美味しそうに飲むので、一口欲しいとねだったのが幼稚園生の時。苦味に顔が歪んで、これは人間が飲むものなのかと思ったのを覚えている。よほど不味いと感じたのだろう、コーヒーにまつわる次の記憶は中学2年生にまで飛ぶ。

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当時好きだった人にイベントに誘われた。まさか2人でという意味だとは思わず、他に誰呼ぶ?と応じた結果、好きだった人を含む友達何人かと出向くことになった。みんなと合流するなりカッコ付けてホットコーヒーを買って飲んだ。10年ぶりに飲むくせに何食わぬ顔をして口に含み、苦いのを堪えて真顔を保っていた。好きな人の前で必死に背伸びしたというのもあるが、せっかく巡ってきたデートのチャンスを不意にした自分に嫌気がさし、やけ酒をあおるような気分だった。当時ですら、お金を払って普段頼まない苦手な飲み物を飲んでまでして自分は何をやっているんだという冷静な考えが苦みとともに頭をよぎっていた。今振り返れば笑ってしまう話である。

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思い出の中で、中学生の恋愛ならではのいじらしさと自己嫌悪の象徴となってしまったコーヒーだが、私とコーヒーの歩みは間違いなくこの時から始まった。その気になればブラックでも飲めるんじゃん!と謎の自信を得た私は、高校生になると居眠り防止のため毎日授業の合間にコーヒーを飲んだ。当初は眠気を飛ばす目的でしかなかったが、徐々に美味しさに目覚め、1年生の終わりには飲み物が選べる時は迷いなくコーヒーを選ぶくらいになっていた。耐性が付くということがあり得るのか分からないが、徐々に眠気がカフェインに勝つようになり、最終的にはコーヒーが好きな居眠り常習犯が出来上がったのみであった。そんなことがありつつ、以来数年間コーヒーは私の毎日にささやかな幸せをくれる存在であり続けている。

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先日、ひょんなことから中学生の時好きだった人と数年ぶりに会い、2人で食事をする機会があった。その人に良く見られようとコーヒーを飲めるふりをしたのも、自分の考えなしの言動を後悔したのも遥か昔の出来事である。でもあれがあったから今があるんだなとぼんやり考えていた。「お飲み物は何にいたしますか?」「アイスコーヒーでお願いします」。かつて好きだった人の前で、今1番好きな飲み物を注文した。伏線回収にしては出来すぎているかもしれない。好きでもないコーヒーをあおっていた過去の自分に見せてあげたい。

人生何があるか分からないもんだな、と思った。中学生の時地元のイベントに2人で行くこともかなわなかった相手と東京でディナーを食べている。様々な思いとともに苦みをこらえて飲み干すしかなかったコーヒーが好物になっている。この先何があるかも分からない。だが、きっとコーヒーはこれからも思い出の味であり、私の好きな飲み物であり続けるだろう。そう信じられるものが何か一つあれば、こんなに心強いことはない。