朝、ぼんやりとした頭の中に、ゴリゴリと手動ミルでコーヒー豆を挽く音が響く。二度寝しようとするのだが、少しすると二階の私の部屋まで届くコーヒーの香りで、私の眠気は完全に覚めてしまうのだった。

「ああ、兄は今日も大丈夫」

そう思いながら、コーヒーの香りでいっぱいのリビングに向かう。

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実家暮らしである私。キッチンの棚は、コーヒー器具やコーヒー豆が所狭しと並べられている。あまりのスペース占有率に思うところもあるのだが、「まあいいか」と思っている。なぜならば、コーヒーは私たち兄妹の架け橋だからだ。

私が高校生の時、3つ年の離れた兄は大学生だった。小さい頃から要領の良かった兄。大学生活も順調なんだと思っていた。しかし、兄は突然大学に行けなくなった。鬱症状が出てきて、起き上がることすらできなくなってしまった。

兄と私は、もともと会話のない兄妹だった。だから当然、私たちの間には話を聞いたり、理由を聞いたりできるような関係性がなく、私はただただ食事もとれずに弱っていく兄を見ていることしかできなかった。家族なのに、兄のことがわからない。その現実に歯がゆさを感じていた。

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ある日、私が学校から帰ると、珍しく兄がリビングにいた。兄は特に私と言葉を交わすでもなく、キッチンカウンターの上にあったコーヒーミルをぼんやりと眺めていた。それは、父か母がこの家に引っ越してくるときに持ってきたもの。先日、私がキッチンの片付けをしていたときに発掘し、収納場所に困りカウンターに放置していたものだった。

「俺、コーヒー淹れるよ」

兄が不意に呟いた。私に向かって言ったのか、独り言だったのかはわからない。

少しして、兄は淹れ立てのコーヒーが入ったマグカップを、自分の前と、私の目の前に置いた。実を言うと、私はコーヒーが飲めない。体質に合わないのだ。そのことを、兄は知らない。私たち兄妹は、お互いついて知らないことばかりだ。

でも、私はそのコーヒーを飲んだ。少しくらいお腹の調子が悪くなっても構わないと思った。今、兄と同じコーヒーを共有したいと思ったのだ。少しでも兄を知りたいと思ったのだ。

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その日から、兄はよくコーヒーを淹れるようになった。もともとコーヒーが好きな人ではあったが、今では様々なコーヒー器具をそろえ、各地のコーヒー豆を取り寄せ、挽き方や温度を変えては味の違いを楽しんでいる。コーヒー関連の物が増えるにつれ、兄の体調もどんどん回復していった。

兄は、私にはコーヒーを淹れなくなった。私がコーヒーを飲めないことを知ったからだ。その代わり、コーヒーを淹れる兄を眺める私に、マニアックなコーヒーのうんちくを語っている。コーヒータイムは、会話がなかった私たち兄妹のコミュニケーションタイムとなった。

そして、コーヒーは兄の体調のバロメーターでもある。1日最低3~4杯は飲むくせに、調子の悪い日は1杯も飲まない。だから、1日の始めにコーヒー豆を挽く音がすると安心するのだ。できるだけ毎日聞きたい音。たとえ二度寝ができずとも。