はじめは、私が掃除・洗濯、夫が料理担当のはずだった。
でも、いつからか平日の料理も私がすることが増え、気付いたら結局家事のほとんどは私がしている。
上記の分担には合理性があった。夫は掃除や洗濯が苦手なのに対し、私は苦にならなかった。私は食に興味がなかったのに対し、夫は食べることも作ることも好き。お互いの得意不得意を上手く補い合えると喜んでいた。

でも、現実はそう都合良くいかない。

私たちは、共に会社員の夫婦。実質的に毎日出社を強要され、毎日のように残業がある夫と、週の半分は在宅勤務可能で勤務時間もやや融通が利く私。
だから余力的に、平日の夕飯作りは私がするのが必然だと言われても致し方ないかもしれない。
私が許容できないのは、食事が終わるとすぐに「休憩」と称してベッドに向かい、スマホをいじりながらダラダラと過ごす夫の姿だ。自分が使った食器を流しに運べば良い方で、自分が使った調味料も出しっぱなし。もちろん自発的に皿洗いをすることもない。結局私が片付けまでやる。

この不公平を何とかしないと、と思った。

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私は在宅勤務の合間にも家事をしているし、出社日は帰宅したら「休憩」の間もなく料理に着手する。休日も掃除、洗濯、名もなき家事をこなす私の横で夫は呑気に横になっている。
片付けに対する意識の違いと言われればそれまでだが、新婚と呼ばれる今のうちに何らかの手を打っておかなければならない。まだ子供はいないが、もし育児が始まったら、育児とセットで家事の分担が私に今以上に大きくのしかかるのが目に見えているからだ。

だから、小さな子供を諭すように、「現時点で家事の大半は私がしていること」「夫と同様私も仕事で忙しかったり疲れたりしていること」「夫ももっと家事に協力的になってくれると助かること」などを説明し、負担が少なく成果が見やすい皿洗いから習慣づけようと夫に働きかけた。

でも、それで思い通りになるなら苦労しない。私がそれとなくリマインドしても「後でやる」と言い、「休憩」を優先させる。結局就寝時間間近まで忘れ去られ、私が痺れを切らしてやってしまうことが多い。
一人暮らし歴が比較的長かった私の夫ですら、この有り様だ。「稼ぎも分担、だから家事も分担」という当たり前の感覚を持ってほしいだけなのに、なんてお気楽なんだろう。普段から優しく、わざと私を困らせようとすることは考えにくい夫なだけに、悩ましかった。

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「夫が家事しない問題」を考える上で、思い至らずにいられなかったのが、夫の実家のことだった。夫の母親が専業主婦だったことが、夫の家事に対する姿勢に少なからず影響しているのではないか、と。

確かに一度、私が夫に「靴下を裏返したまま洗濯かごに入れないで」と注意すると、「昔、母親にも同じことを言われた」とヘラヘラと笑っていた。夫にとって、家事というものは子供の頃から変わらず「自分事ではない何か」なのかもしれないと悟った。

こうなっては、夫のマインドを変えるのも相当の時間と忍耐を要するかもしれない。半ば諦めかけた頃、気付いたらある時、夫が珍しく皿洗いを進んでしてくれていた。
その時、自分でも少し意外に思えたのだが、感謝より先に小さな罪悪感が私の中で芽生えていたのだ。

私がこれまで大半の家事を頑張ってこなしていたのは、散らかった部屋、山積みになった洗濯物や食器の放置に耐えられない私の性分もある。でも、それ以上に「頑張って会社で働いてくれている夫に家事の負担を増やさせるのは申し訳ない」と自覚ないまま心のどこかで感じていたのだ。罪悪感の正体はそれだった。私だって仕事で疲れているはずなのに、である。

思えば私も、激務で家事にはノータッチの父と、何となく家事だけやって生きているような母を見ながら育った一人だった。非常に合理的な役割分担と理解していた一方で、母一人だけが家のこと全てを支配していたことに、言葉で表せないモヤモヤを抱いていたものだ。「自分だったらこんな、『家事=女性の仕事』の家族にしない」と心に決めたはずだったのに、無意識にその構図を引きずってしまっていた自分自身に驚いた。

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家事に対する夫のマインドや習慣を変えること、またそのための妻の地道な働きかけももちろん重要だ。でもそれだけでなく、妻側が無意識のうちに築いてしまった心のブロックから自身を解放することも同じくらい重要なのだと思う。

平坦な道ではないかもしれないが、少しずつでも、夫婦二人三脚で乗り越えていきたい問題だ。