わたしはもうすぐ27歳になる。東京生まれ東京育ちで、25歳で地方都市に移住するまで多摩・武蔵野・そして23区のエリアの学校や会社に通っていた。

約4年前、大学3年生だった。これから就活を始めようというとき、都内の居酒屋で、忘れられないひととの出会いがあった 

そのときにわたしは深く考えもせずに大企業で働きたいと思い始めた。そのひとが言うなら、というノリで。完全に恋をしていたのだといまはわかる。あのひとと釣り合う自分になりたいと、思うようになっていた。

大企業と言いつつも、2,3社しか受けていなかったので、同級生の就職先が決まるころ、わたしだけ決まっていなかった

あまり募集はなかったがそれでもまだ、大企業で働きたく、少しでも都内の規模が大きい会社を受けに行った。

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卒業ギリギリに内定をもらい、東京23区のオフィスビルの27階で派遣のOLとして働いた。あの人の意図する大企業の正社員にはもちろんなれなかったが、会えるかもしれないと期待して、あのときの飲み屋さんの最寄り駅近辺でアパートを借り、住み始めた。

でも、時はコロナの初期の初期。なかなかその居酒屋に気軽に足を運ぶことができなかった。人間関係も希薄だった。派遣の新卒だったので、リモートワークなどなかった。人口密度が高い東京で過ごす一人きりの生活は、初期のコロナの中にあってストレスと孤独を深めた。マスクをつけっぱなしの毎日で、誰も自分の顔を知らないし、ましてや相手の顔も知らない状況に日々すり減っていった。

仕事自体にもやりがいを感じられなかった。というのは、東京のOLになりたいというイメージが先行してしまい、仕事の内容に興味が持てなかったからだ。

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 一年と少しで退職し、都内でアルバイトを始めた。もうあの人の理想とするわたしにはなれないと、やっとわかった。わたしは、自分の軸を持っていなかった。そんな中で就職活動を続け、その結果地方に移住することになった。それが昨年、25歳のときだ。

田舎の会社の中の人間関係は、東京にいたころとは違う意味で辟易した。職場では20代女性の次に若いのは40代後半女性だった。わたしはテレビで見るようなアイドルや女優というステレオタイプで見られた。わたしが古い洋画が好きというと、独特な趣味などという。若い女性の趣味は画一化してないといけないのか。

田舎でマイノリティーのまま日々を過ごすことに耐えられなく、隣の都市の地域のコミュニティ活動に熱心になった。ここでもマイノリティーだったが、自分が人に必要とされていることがよく伝わり、嬉しかった。

そのまま転職したが、これは甘かった。そもそもある業界の仕事がしたくて一人田舎に越してきたのに、人間関係に嫌気がさしてやりたかったことも放棄してしまったから、結局転職した仕事もこの4年間で最短で辞めることになったのだ。

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でもまだわたしはこの地方都市にいる。もともとが行動的な性格なせいか、ひるまずに単独で行動を続け、本当にいろんな人と出会った。その結果、この一年半で仕事観が変わったから、しばらく東京には戻らない。どうやらわたしは個人として生きていくほうが性に合っているようだ。わたしにとって東京はマジョリティーという集団の隅っこで、いろんな情報を入手する場所だった。インプットの場所。

いまは集団の中心でもう少しアウトプットをしたい。マイノリティーだからこそできることがあると思うからだ。