2023年の夏は、すこぶる精神状態が悪かった。発達障害の二次障害としての鬱が襲ってきて自責と将来の不安、孤独感に押し潰されそうになった。

精神科に定期受診しているため、調子が悪い状態が続くのを見かねた主治医の先生からは入院を強く勧められた。それまで何度か入院を勧められた事があったが、その度に拒否していた。「入院生活は知らない人と関わらないといけないし、まして精神科なんて絶対に嫌!」と思っていた。

ただ今回は自分でもかなり限界を感じていたので、人と関わるのが嫌だとか悠長な事を言っている暇はない。医療保護という形で10月頭に入院する事になった。

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父と母に連れられ、緊張しながら病院へ向かう車の中。私の掌は手汗でびっしょり濡れていた。病院へつき、先生の診察の後に同意書を書き父母と別れると看護師さん2人が迎えに来た。1人は眼鏡をかけた大柄の男性、もう1人は話し方からして天然そうな可愛い女性だった。

入り口で金属探知機を当てられ、洋服に紐状のものがついていないかも調べられ、病棟内へ入る。スマホも持ち込み禁止で外部との連絡手段は公衆電話のみだ。

ホールにいる患者達が一斉にこちらを見る。革靴を履いたコワモテの中年男性、痛々しいほど痩せた金髪の女性、足が悪いのか歩行器を使って歩く女性etc…。「私はこの人たちとここでやっていけるのだろうか?」と不安に襲われた。

3日間はコロナの影響で隔離が必要なため、トイレ以外は個室で過ごしていた。この間に自責思考にやられて具合が悪くなって、看護師さんによく話を聞いてもらった。

隔離が明け、ホールへ行ってみたら革靴のコワモテ男性に「名前を教えて」と話しかけられて、そこから何故かエジプトの古代文明がナンタラとかいう話を延々とされるハメになり、辟易した。後で他の人から聞いてわかったのだがこの男性は統合失調症で、自分は某大手コンビニエンスストアの社長なんだと真顔で話していた事もあった。

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この男性を皮切りに、入院中は沢山の患者さんと身の上話をした。こんなに他人と腹を割って話したのはいつぶりだろう?中学の時にいじめで心を閉ざしてからというもの、久々の経験だった。

虐待、DV、ドラッグ、パワハラ、生活保護など壮絶な生い立ちの人が多かった。それでも「退院後は◯◯の仕事をしたい」と希望を語る人もいた。

この時に私は環境に恵まれていたんだと思い知る事になる。理解のある家族、親戚がいて食べ物にも困らず、欲しいものが手に入るのは当たり前ではないのだと。狭かった視野が1ヶ月の入院でパーッと広がったと思う。

入院前は「自分には価値がない」「社会のゴミ」と思っていたが、ここで沢山の人と話すと「優しいね」「聞き上手だね」「この病棟のアイドルだね」とか褒めて貰うことも多く、それが自信に繋がった。

人と関わる事、孤独を解消する事、悩みを共有し分かち合う事が人間にとってどれだけ大切なのか身をもって知った。

そして作業療法で塗り絵、手芸、運動などをして物事に集中する時間の心地良さも改めて分かって、とても良い機会だったと思う。

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11月の頭に退院になったが、1ヶ月とはいえ仲良くなった患者さん、看護師さん達と別れるのは寂しかった。手紙を書いてくれた人も数人いて、電話番号も交換したので今後その人達とまた会えるのかと思うとワクワクしてくる。

退院後の現在は、社会復帰に向けてまず作業所に通所しようと準備中だ。今後はステップアップして一般就労出来ればいいなと思っている。死にたかった私は今はいない。未来に向かって歩いていく。