家にはいつも、母がいた。
父の声や姿は、知らなかった。
それでも私は幸せだ。あの夜までは、そう信じていた。

友人に尋ねられたことで湧き上がった好奇心が招いた、幼い日の悲劇

小学生だった、あの夜。私は母にこう尋ねてしまった。
「どうして私にはパパがいないの」
その日、私が学校で仲の良い女の子と遊んでいた時のことだ。どんぐりや落ち葉を集めて楽しんでいる時、私は父親のことを尋ねられた。

「パパはいないよ」
「なんでいないの」
「知らない。会ったことないもん」
「そんなの変だよ」
たしかに変かも、と思った。友人たちの父親は、入学式や運動会で見たことがある。なのに自分は、父親に一度も会ったことがない。なぜだろう。だからその夜、母にその理由を尋ねたのだ。

母は一瞬顔をこわばらせた後、ぽつりぽつりと話し始めた。
父の名前。父と母との間に起きた出来事。私の生い立ち。私に兄弟がいない理由。
母は泣いていた。泣きながら私に「ごめんね、ごめんね」と謝り続けていた。
なぜ母が謝るのか、その時の私にはよく分からなかった。だが生まれて初めて、母を泣かせた。自分が父親のことを聞いてしまったせいだと感じ、私も泣き出してしまった。

母が謝り続けた理由は、日本に根付く母子家庭のひとり娘の私にあった

あとになって、私は母が謝った理由に気づいた。母は、私を「母子家庭のひとり娘」にしてしまったと後悔していたのだ。

父、母、子どもが揃った家庭が望ましい。男性の方が、女性よりも昇進の機会や給料が多くあるべきだ。女性は、結婚して子どもを産むべきだ。育児や介護もするべきだ。
こうした考えは、今の日本に根強く残っている。日本では、それに従って生きる方が、幸せだと思われている。だから、母子家庭のひとり娘は、不幸せだと思われがちだ。
たとえば、彼女たちは片親というだけで、「変だ」「かわいそうだ」と言われる。結婚すれば、姓が変わる。そうすれば、実家の家系を絶やすことになる。家族がいなければ、子どもをおいて仕事ができない。母が自宅での介護を頼めば、仕事をやめてでも世話をしなければならない。自分が年老いて介護を必要になっても、結婚していなければ家族に助けてもらえない。母子家庭のひとり娘というだけで、自分に対して一定のイメージを持たれ、できることが限られてしまうのだ。

もし私に父親がいれば、兄弟がいたら。もし私が男だったら。こうした面倒ごとに、巻き込まれる確率は低くなるだろう。
子どもは生まれてくる家を選べない。選べないからこそ、私の人生には縛りがある。そりゃ娘に謝りたくもなる、と子どもながらに思った。

だが私の一生は、本当に不幸なのだろうか。
そもそも、なぜ自分の幸せを、誰かに決められなければならないのだろう。
自分の幸せは、自分が決める。縛りがあっても、幸せになってやろうじゃないか。

あの夜気付いた「縛り」が人生にあっても、幸せになろうと決めた

私は、学ぶと決めた。
私たちは、自分で親を選べない。だが学ぶことはできる。学ぶチャンスは、誰にでも与えられる。いつ学んでも、どこまで学んでもいい。お金がなくても、社会が学ぶことを支えてくれる。日本はそういう国だ。

そして何より、学べば学ぶほど、できることが増える。教科書にこだわる必要はない。とにかく広い世界を見て、いろんなことを知ろうと思った。
そうするうちに、私にはやりたいことができた。古くからある価値観が、本当に正しいとは限らない。人は生まれだけで判断できない。そうしたことを伝え、証明したいと願った。

あの夜から、十年以上が経った。
母とは離れて暮らしている。
父の声や姿は、今もわからない。
そんな私は幸せか。答えは最後までわからないだろう。

あの夜があったから、私は人生の縛りに気づいた。
私はどう生きればいいのだろう。結婚や出産の便りをもらうようになり、そう悩むことが増えた。だが、縛りに気づいて良かったと思う。人生の目標が、ひとつできたのだから。
「私の人生は、幸せだった」
人生の終わりに胸を張ってそう言うため、今日も私は学ぶのだ。