2020年のある日、夕飯を作って食べた後、皿を洗うのは明日にしようと思った。

翌日、わたしは皿を洗わなかった。明くる日も、そのまた次の日も洗わなかった。

結局その皿は、16ヶ月間放置されることとなった。

これは、「全く家事のできなかった16ヶ月間」を振り返るエッセイである。

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16ヶ月、食器を洗わなかった。シンクを占領する食器と鍋。水分が蒸発するにつれて、臭いは収まっていった。なんだかよくわからない黒い塊が表面にこびりついていた。

水を流しさえしなければ、新たな悪臭は漂わなかった。洗い物はせず、ちょっとした残飯や食べかすはそのままゴミ袋に捨てるようになった。袋の口を閉じ、冷房をガンガンにかけていれば、夏場でも異臭は抑えられると知った。

デリバリーとコンビニに頼り切った食生活。

冷蔵庫の中で腐って溶けたいつかのほうれん草。

床にうずたかく積もり上がった白いビニール袋と剥き出しのプラスチック容器。

そこかしこに転がった空のペットボトルと、中途半端に中身の入ったペットボトルの中でマリモ状に成長するカビ。

部屋中にぶちまけられた、ほこりだらけの不衛生な布きれと化した衣服の山。

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掃除を怠り、溶けず流れないゴミと老廃物に晒され続けた排水溝は少しずつ水を溜め始め、チョウバエの培養工場となった。朝1匹見つけて殺しても、夜見たらまた2匹が壁と天井にとまっていて、その2匹を殺しても、翌朝また3匹見つけた。恐怖だった。

手が滑ってドリップコーヒーの粉を床に撒いてしまっても、それを掃除する気は起きなかった。そこだけを綺麗にしたところで、このゴミ溜めのような部屋では何の意味もないと思った。

だから1年前のコーヒーの粉がまだ床に残存していて、風呂上がりの湿った裸足で部屋を歩けばその粉が足の裏にくっついて、粉は部屋の色んな場所に拡散した。

そんな中でもテレワークは続いた。足元に散らばる使用済資料。プリンターは床に直置きで、ゴミや髪の毛が機械のいろんな隙間に挟まった。

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「汚部屋」の一言では伝え切れそうにもない、地獄のような空間で、清く正しく明るい社会人として、ハキハキと社用携帯のコールに出た。椅子の下を絨毯のように覆い尽くす数百枚の紙資料と、昨晩食べ捨てたプリンのカップや緑茶の空パックを、コーヒー粉のついた裸足で踏みしめながら。

「はい、○○の××でございます。あー、お世話になっておりますー!…」

正直気が狂いそうだった。こんな場所で生活なんてしていられない、仕事なんて尚更。そう思っても、もう身動きが取れないくらい身の回りが崩壊しきっていて、何から手をつけていいかわからなかったから、何もしなかった。

頼れる人もいなかった。親にこの部屋を見せたら、親は泣くを通り越して自分の人生に絶望するのではないかと思った。自分たちが時間とお金をかけて育てた子どもの末路がこれかと。そう思われるのは耐えられそうになかった。

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特にこれといったきっかけもなく(強いて言えば仕事のストレスが強すぎて、現実逃避のために)、ある日わたしはなんとなく部屋の掃除を始め、上に書いたような最悪の状態からは抜け出した。ただその後も部屋は汚くなったり綺麗になったりを繰り返した。

結局引っ越す直前には最悪の7分目くらいまでの汚さになっていたので、清掃業者を呼んで作業してもらった。料金は15万円だった。もちろん痛い出費ではあったけれど、高すぎるとは思わなかった。わたしは15万円払われたとしても、あそこまで汚れた自分の部屋を掃除することはできないだろうし、また部屋を綺麗に保つこともできないだろうから。

仕事と、プライベートと、社会情勢の全部が不安定だった、2020年から2022年にかけての話である。

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精神的にかなり参っていたと思う。家事が出来なくなったから、病んだのか。病んでいたから、家事が出来なかったのか。どちらが先か、いまだにわからない。でも、どちらかが壊れればもう一方も止まる、両輪の関係であることは間違いない。

あんな生活には二度と戻りたくないので、今はもう少し秩序だった生活を送っている。

このエッセイの「汚部屋」描写に鳥肌が立った方。あなたがこの先も、家事のペースを乱さず、健やかに生きていけるように祈っております。部屋を綺麗に保てることは、本当に素晴らしい能力だと思います。尊敬します。

共感と仲間意識を覚えた方。部屋が汚くても死にはしません。いつか好転するタイミングがきっと来ます。それまで、お互い負けずに生きていきましょう。