ワンルームの自宅に帰ってきて、ため息をつく。朝飲んだコーヒーのコップが出しっぱなしだ。仕事が忙しくなればなるほど、心に余裕がなくなればなくなるほど、溜まっていく。それが家事。

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転職をして半年。忙殺される日々が続き、家事をする暇や気力は残っていなかった。そうはいっても、着る服がなくなってくるし使える食器がなくなってくる。だから、仕方なく仕事が休みの週末に、洗濯や皿洗いといった最低限の家事を済ます。そしてまた平日を迎えて、会社に行く。毎日生きていくのに必死で、家事は仕方なくしているものに過ぎなかった。

いつもより仕事が早く終わり、定時に会社を出たある日のこと。冷静に部屋を見渡すと細かい汚れに気がついた。平日は夜遅くに帰って、朝は起きてすぐ会社に行く。週末は死んだように眠るか、遊びに出かけていた。忙しい毎日のなかで気にならなかった、部屋の隅の埃やシンクまわりの汚なさ。

部屋の乱れは心の乱れというけれど、本当にそうだなと改めて思った。転職をして仕事が忙しくなったこの半年、部屋はどんどん汚くなっているし心もどんどんざわついている。気持ちが晴れなかったり、ちょっとしたことが許せない。沈んだ気持ちで部屋を見渡して、私はげっそりした。

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そして、私は考えた。部屋の乱れが心の乱れということは、部屋の乱れが整えば、心の乱れも整うのではないかと。そう思った私は週末、皿を洗うだけでなくシンクを掃除してピカピカにし、掃除機をかけるだけでなく床を拭いて埃を取り除いた。捨てるのがめんどうで溜めていたペットボトルも分別して捨てた。いつもよりちょっと丁寧に掃除をしただけ。だけど気持ちは軽くなっていた。

気持ちが軽くなった私は、久しぶりにご飯を作ろうという気持ちになった。毎日といっても過言ではないくらい、コンビニ弁当を食べていた。炊飯器は埃を被っており、まな板は食器棚の奥に押し込まれていた。自炊をするのは、なんと数ヶ月ぶりだった。

自分でスーパーに足を運び、自分で選んで食材を買った。買ったのはレタスと豚バラだけ。レタスを食べやすい大きさにちぎって豚バラを茹でて皿に乗せ、ドレッシングをかけただけの、お世辞にも手が込んでいるとはいえない自炊。なのに、食べて洗い物まで済ませた私の心は潤っていた。家事のおかげだ。生きていくうえでやらざるを得ないことのひとつが家事だと、そう考えて嫌々こなしていた。

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生きていくうえでやらざるを得ないことという認識は変わらないけれど、この時、気持ちに少し変化があった。自分のために部屋をきれいに保ったり自炊をしたりすること。その行為が曇りがちな私の心を、晴れに近づけてくれていると気がついた。

部屋をきれいに保ちたい自分の気持ちを尊重して、自分ために埃を取り除く。自分の食べたいものを、自分で選んで調理する。当たり前のことだけど、自分の「したい」に素直になって、それを1つ1つクリアすることで、手軽に自己実現できるもの。それが、わたしにとっての家事。