私がその作品に出会ったのは、確か中学生の頃だったと思う。
今も昔も小説好きの私は、10人以上いる好きな作家はすべて読破していた。
ただし、アルバイトすらしたことのない中学生にはそんなペースで購入するのは土台無理な話。
図書館で読んだ後、もう一度読みたいものだけ購入するというのが今も変わらない私のスタンスだ。
その日、図書館で手にしたページをめくる手が止められなかった小説は、石田衣良さんの「娼年」だ。

中学生の私には「エロい!!」だけだったのに、読み返して涙が

それまで手にしていたのがピュアな男の子4人の青春小説「4TEEN」や、池袋ウエストゲートパークシリーズだったので、物凄い衝撃だった。
何がかというとラブシーンの過激さ、アブノーマルさ、バリエーションの多さにだ。

「娼年」は恋愛にも大学生活にも退屈したハタチのリョウが、「娼夫」の仕事を始めて多種多彩な欲望を持った女性たちに出逢って自分の人生にとって大切なものに気がついていくという物語だ。

ただ、読書好きとはいえ、恋愛経験も人生経験も乏しいその頃の私には「エロい!!」ということしか理解できていなかった。
この作品の奥深さや石田衣良さんの魅力をきちんと捉えられたのは、何年もあとのことだった。

大学生になり、「逝年」という続編が出ることを知り、改めて「娼年」を読み返してみた。
もう一度衝撃を受けた。
でもそれは処女じゃなくなって、ラブシーンに興奮したからとかではない。
涙が止まらなかった。
中学生の頃には読み取れなかった、身体を売りながらリョウを育て亡くなってしまった母親の面影をひとりひとりの女性に探しながら、リョウが生きている哀しさに気がついたからだ。

女性への偏見がなく、優しい作者の目線に気づき感激

二度読んで全く違った種類の感動をした小説はこの一冊だけだ。
小説の面白さにやっと恋愛経験や人生経験が少し追いつき、味わえた格別な体験だった。

また、もうひとつ気がついたことがある。
それは石田衣良さんが描く女性への優しい目線だ。
どんな歪で不思議な形の欲望も肯定的に、圧倒的に当たり前のこととして受け入れ、描き出すそのフラットさや偏見のなさにも心打たれた。
なんて広くて澄んだ視界で物事を見ている人なのだろうと感激した。

社会に出て新しく学ぶことや、衝撃的な出逢いもあったりはする。
けれど、人間の本質は学生時代に大体の基礎はできあがってしまうんじゃないかと私は思っている。
あの時期までに石田衣良さんの作品に出会えたことは、私のアイデンティティを形作る上で大きかった。 

柔らかな物の見方、自分の頭で考えることを教えてもらった

私は、高校で3年間の成績がNo.1になるくらいには勉強を頑張っていた。
学歴の高い人は実際に会っても、テレビで見ていても人間としての質が高く、素敵だと思っていた。

また、それまでの私は「知らないから」「誰かが言っていたから」といったなんとなくの無知や偏った情報で、人や物事を差別したり嫌悪していたと思う。
「娼年」を読んでそれは、自分の物差しで判断ができない、とても愚かなことだと痛感したのだ。

頭がいいということと勉強ができるということは全く別のものであること。
本当の賢さとは、まずフラットで柔らかな物の見方ができて、その上で自分の頭で考えられてること。
それがきっと人生の色濃さ、豊かさに繋がること。
それは性や愛に限らず、すべての物事に共通するのだと大学生だった私にはきちんと理解ができた。

あれからまた年月が経ち、続編の「爽年」が出版された。
初めて図書館で読む前に単行本を購入した。
それはとても幸せな体験だった。
映画館で上映された「娼年」は言うまでもなく観に行った。
小説の空気感が驚くほど画面に現れていてお気に入りの一本になった。

「娼年」を何人もの人に勧め、貸してきた。
自分でも読み返すといつでも新たな衝撃に出逢う。
凝り固まった自分の思考を反省したり、もっと人に優しくなりたいと願いながら読む、私にとって特別な一冊だ。