私は今、来年の卒業制作に向けて恋愛小説を書き始めたところだ。高校時代の学生生活を振り返って、クラスメイトがどんな恋をしていたか。自分は恋愛に対してどんな考えを持って、周りの人々と接していたかを思い出すと、そこには今までわからなかった理想の恋愛が見えてくる。
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友達としての「好き」と恋しているときの「好き」は、どう違うのだろうか。まずはお友達から関わっていくと、自分にはなかった価値観を知ることになり、「こんな生き方があって、こんな世界があるんだ」と新しい発見を得ながら刺激を受けるようになるのだ。そこから、この人ともっと一緒にいたいと思い始めれば、恋のスタートラインに立っていくのかなと恋愛小説に取り掛かりながら私は考えていた。今の自分になくてはならない存在の人と出会ったとき、ときめきが芽生え揺れる心と向き合いながら相手の良いところも悪いところも知っていくのが、恋愛なのかもしれない。
そうしていくうちに、相手の良いところも悪いところも好きになれたのなら、恋から愛に変わっていき、一緒に歩む未来を想像する。その時点で恋を終わらせ、愛を育む人生をスタートさせていくのだろう。恋することは簡単なことかもしれないけれど、それを愛に変えることはとても難しいと思う。好きな人とお付き合いを始めて、良いところよりも悪いところが勝ってしまうと愛に変わることはない。前向きな意味で恋を終わらせることは、お互い同じ方向を見つめて一緒に歩む道を考えることであって、もうその人に対して自分を好きになってもらうための努力をやめることが、恋も愛も諦めてしまうということだと私は感じていた。
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世の中には恋をしているからこそ、叶えられる夢がある。「多くの人を、遠くの人を楽しませる人は、近くにいる人を悲しませるっとよ」という台詞は、今年一月にTBSで放送された北川悦吏子先生が脚本を手掛けた「夕暮れに、手をつなぐ」のヒロイン・空豆のものである。
彼女は幼い頃にデザイナーを夢見ていた母親に捨てられ、やがて母親は世界的な有名デザイナーになり多くの人に夢を与えるファッションを生み出しているというストーリーで、空豆より遠くにいってしまった母親は世界中の人を幸せにするかわりに、自分の娘を幸せにできなかった。やがて空豆はファッションに目覚め、母親と同じ職業を目指すようになる。九州から東京に上京し、下宿先でコンポーザーとして成功を目指す青年・音と出逢う。彼と一緒に暮らす中で、喧嘩しながらもお互いの夢に向かって励まし合いながら突き進んでいくようになる。空豆は音のことが好きだと気づくが、音が所属しているレコード会社で念願のデビューが決まり下宿先から出ていくことになる。また自分の近くにいる大事な人が遠くへいってしまうことから、空豆は母親に捨てられた過去を思い出し、音がデビューすることに対して大きな喜びを感じながら音と離れてしまう寂しさを覚えていた。
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このドラマの主人公の二人のように、多くの人を幸せにする仕事を目指している人は恋を諦めなければならない時がやってくるかもしれない。だけど、空豆と音が最終回で夢を叶え再会し互いの気持ちを確かめ合ったとき、恋から愛へと変わっていったのだ。寂しさを感じながらも好きで幸せになってほしいと思う人のことを応援してきた二人が、離れていても心通わせていたと実感できる最終回の再会のシーンは、北川悦吏子先生を尊敬している私にとって心打たれるものがあった。
今恋愛小説を書き始めているなかで、私の恋の終わらせ方はまだわからないけれど、どんなときも夢を叶えるために頑張る好きな人の味方でいたいと願うとき、愛へと変わっていくのだと思っている。