このテーマがやってくると「え、今年も終わってしまうの?」と動揺するようになった。昨年もこのテーマについて考えたような記憶がある。そのときはやり残したことがたくさんあって仕方がなかったような気が……

さて、今年は、縁と縁がつながる不思議な一年だったと思う。あまり旅行にはいけなかったが、創作イベントに出たり、SNSでのつながりができたり、自分にとっては有意義な一年だったと思う。

といっても、記憶というのも不思議であのときのあの出会いはいつだったかしら、と思い返してみてもそれが今年だったのか昨年だったのか、案外覚えていないところもある。だから、私はもしかしたら、十分に旅行に行っていたかもしれない。ただ、SNSの出会いは確実に今年だ。今年の六月。ここから大きく生活が変わったように思う。

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では、そこで今年やり残したことを今一度考えよう。あれもこれもしたような気がするが、あれもこれもしていないような気がする。一年の終わりに作っている「やりたいことリスト100」をみても6割くらいチェックがついて、3割くらいは現実的に難しそうなことだった。

それじゃ、あとの1割はなにかと思われるだろうが、それは余白だ。私という人生の余白部分。これはやってもやらなくてもよいという安心感を得るために存在している。

となると、案外私は今年はやりたいことを散々やりつくしていることがわかる。それは有意義だとはっきり言えるわけだ。なんと幸せなことだろうか。

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ただ、一つだけ現実的ではないのだけれど「やっておきたかったこと」はある。それは、「引っ越し」だ。今年、物件の更新年だった。つい先日更新を終えて一段落したところなのだが、ふと「引っ越ししたいな」と床に大の字になりながら思った。

この部屋が嫌いというわけではない。割と気に入っている。ちょっと壁が薄いところが気になるけれど、それ以外は十分に気にっている。特にどこかのエッセイでも書いたが色を間違えて買ったローテーブルで窓の外を見ながら、文章を書く時間は至極の時間だと思う。

ただ、どうしてだろうか。なんとなく急に引っ越しをしたくなった。もともと自分が潔癖症な部分が多少あるからかもしれない。二年も住むと「人が住んでいる感じ」が拭えなくて、家に帰るときにホッとする部分と、げんなりする部分が両立してしまうのだろう。一人暮らしを続けてみて、初めて気づいたことだった。

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本来であれば、引っ越しをしたい。また一からのスタートを切りたい。でも今は難しい。では、今年のうちにできることはなんなのだろうか。あまりに一般的すぎて、わざわざここに書くのも恥ずかしいのだが、私が今年最後にやり残していることは「掃除」なのかもしれない。「断捨離」というのも含む「掃除」私はこれを今年中にやるべきなのだと思う。

仕事から帰ってきたとき、遊んで帰ってきたとき、「ただいまー」と言ったときになんとなく感じていた、げんなり感をなくすべく私は気合いを入れて掃除をするべきなのだろう。これはいつもの掃除とは少し違って、お部屋のリセットに近い掃除のことを指す。私は、リセットをするのだ。

新しい部屋で生活することは難しいから、新しい「ような」部屋で生活するために、心機一転、リセットを行って私はこれから新しい年を迎えたいと思う。

しかし、年末の大掃除、って言葉にすると案外一般的すぎてちょっと面白い。