私の話ではないけれど私が一生忘れないであろう「直感」話をしようと思う。

高校生のとき世界史のN先生というちょっともっさりとした先生がいた。

未だに年賀状で交流のある先生を「もっさり」と形容するのは多少気が引けるが、他に形容し難い、いかにも学者気質とでもいおうか……グレイヘアは中高年男性にしては長めでビートルズの人のようなマッシュルームカット、眼鏡をかけ、独特な世界観を持つ穏やかな先生だった。

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女子校という花園の中……一部の垢抜けた子たちの中には彼氏がいる子もいたが、私の周りはリアルな男子よりも「嵐の〇〇くんと結婚したい!」「テニプリで彼氏にするなら誰がいい?」というアイドルや二次元の話題で盛り上がり、異性とはほとんどツチノコやネッシーと同レベルの生き物であった。

そんな女子校で「男」の先生というとちょっと特異な存在だ。

体育終わりの教室、次の授業が数学のような皆がイヤな科目の場合は廊下で待つ先生に対して「まだ着替え終わってませ〜ん」「下着の子がいま〜す!」なんていって時間稼ぎをする。教師といえど、うら若き乙女が着替え中となると中に入れず、ある先生は「10秒以内に着替えないと入っちまうぞ!早くしろー、10,9,……」とカウントを取り始め、またある先生は通りすがりのベテランの「魔女」というニックネームを持つおばちゃんの先生に助けを求め、「あんた達は!」と魔女が結界を破って突入してきたこともあった。

全ての女子校がそうではないと思うが一概に男の先生といっても年代でちょっとポジションが違う。

若い男の先生は「彼女いるのー?」「いなさそー」といじられる。そして世間的には格好良くないと分類されてしまうような先生も、なんだか女子校の職員室にいるとちょっと格好良く見える。私のクラスでは中川家の礼二似の先生が格好いいとファンがいた。数年たって卒業アルバムを開くと「あれ?こんなんだったっけ」となる。数年越しの蛙化現象。

その一方でおじさん、おじいちゃんの先生はマスコットキャラクター的に可愛がられた。

クラスで1位2位を争う美女も、細川たかし風のおじさんの理科の先生に何故か懐いていて、ゆるきゃらまがいのあだ名をつけては「かわいい!かわいい!」ともてはやしていた。

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N先生もそんな感じである。
「Nちん」と呼ばれて皆に懐かれていた。
女子高生にゆるキャラまがいの扱いをされて、「Nちん!かわいー!」と言われ、哲学を専攻する真面目なN先生は怒ることなく、いつも照れていたのを覚えている。

私が一生忘れることのない「直感」の話はそんなN先生の話したエピソードだ。

授業中、どうしてそんな風に話が脱線したのかは忘れてしまったが、確か学期末でほとんどやるべき内容は終わっていた頃……N先生に日頃授業中でもあれこれ話しかけていたクラスで1番明るく元気で活発な、女の子版・孫悟空みたいなRちゃんが「Nちん、面白い話して!」と持ちかけたのかもしれない。

真面目なN先生は少し遠い目をしながら、奥さんとの馴れ初めを話し始めた。
「これは僕と奥さんの話なんだけれど……」
女子高生は恋バナが大好きだ。かつて女子高生だった私調べでは「恋バナ」「ダイエット」「アイドル」の話あたりがあれば無限に盛り上がれるのが女子高生という生き物である。
相手がジャニーズや二次元キャラとの妄想の恋バナでも、放課後サイゼリアで何時間でも話していられる位。N先生の言葉に教室はいっきに盛り上がった。

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「僕と奥さんとはお見合い結婚なんだけれど。1度両親たちも同席でお見合いの場で会って。それで別の日に今度はふたりで銀座でごはんに行くことになったんだ」
ぽつぽつと話す言葉に、みんなきゃっきゃと浮足立って耳を傾ける。
「でもね、待ち合わせ場所で相手が何時間待っても来ないんだよ」
Rちゃんが「先生かわいそー!フラレたー!?」と飛び上がる。

「いやいや、その日は人身事故があって、電車が大幅に遅れてね、待ち合わせ時間に来れなかったんだ。で、今はみんなケータイで、メールや電話があるし、調べられるけれど当時はそんなものなくて。僕は彼女が来ない理由が分からなくてね。2時間くらい待って、ああもうフラレちゃったのかな、やっぱりだめだったかな……って帰ろうとした。銀座の街をとぼとぼ歩いて、ふらっと曲がり角をなんとなく右に曲がった。そうしたらね、向こうから人が走ってくる音がしてね。見てみたら、それが、後の奥さん」
きゃーと沸騰するみたいに教室が盛り上がる。

みんな頭の中には100%美化されたN先生の若い頃と奥さんのロマンスが映画の如く上映されている。
「えー!やば!ドラマじゃん」
「じゃあNちんがもし違う道に曲がっていたら会えなかったってこと!?」
Rちゃんはぴょんぴょん飛び跳ねながら、聞く。
「そうなんだよ。銀座は駅の出口も多いしなんとなく、直感で曲がったんだ。そしたら奥さんが向こうから歩いてくるんだから、不思議だよなあ」
「運命じゃん!」
「もしその時違う方に曲がっていたら人生変わっていたかもしれないから、確かにその時なんとなく右に曲がったのは、運命かもしれない」

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私はそんなにきゃっきゃと先生に馴れ馴れしく話せるタイプではないから、手を叩いたり、大きな声で感想は言えなかったけれど、でも窓際の自分の席でぼんやりと教室の盛り上がりを横目になんとなく「この話を一生忘れないだろうな」と思った。

私はその頃から漫画などの創作物を趣味で書いていたせいもあるかもしれない。それ位ドラマチックだと感じた。そして未だにこの話を時折思い出す。

生きていくといろんな選択肢に直面する。どっちが正解?選んだ道が本当に正しいのか?選ばなかった道の景色は?なんて気になってしまうのが人間のさがだけれど、この話を時に思い出して、どちらに曲がるかは自分で理由はなく感覚で選ぶけれど、それは偶然ではなく全て必然なんじゃないかと、私はいつも選択肢を前にこの話を思い出しながら直感に身を委ねるのだ。