写真撮影において私の信条は明確だ。
ノーマルカメラ一択。
写真はノーマルカメラ一択。
私のこだわりはこれだけ。
もう10年以上前から加工アプリは数多く存在していて、その進化は日々続いている。
◎ ◎
私も加工アプリに初めて触れた時には、はじめは綺麗に映ることにときめいて加工アプリで写真を撮っていた。
だけどそれも束の間。
すぐに飽き、だんだんスマホの中に入ってはいるけれど使ってない存在に。
そして断捨離も習慣になってからは、アンインストールした。
それ以来、何年もの間、ノーマルカメラのみを使用している。
ここには、私の自然体そのもので生きたい。
そして表現したいという価値観が隠れている。
写真を美しく見せたり、共感を呼ぶために努力する気持ちは理解できる。
しかし、その努力が現実との乖離を生み出し、空虚感や混乱を引き起こすリスクもある。
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時間が経ち、写真を振り返った時、実際に経験した瞬間との乖離が感じられることは悲しいことだ。
なんだか実際に自分でみたものというよりも虚構のもののように思えてしまう。
風景や人の顔など、素直に残しておくことが美しいと感じる瞬間が多い。
人の顔もそう。
盛れるアプリを探すことにエネルギーを使うよりも、 素の自分を磨くことにエネルギーを注ぐ方がはるかに楽しいと思う。
ノーマルカメラでの記録は、自分に正直でいることを意味し、変化に敏感に気づく手助けとなる。
加工と加工を比較しても何もわからない。
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ノーマルカメラで記録すること。
それは自分に嘘をつかず、変化に適切に気づくためのギフトなのだと思う。
写真は私たちの瞬間を永遠に切り取るものであり、その真実味を損なうことなく、本来の美しさを引き出すことが大切だと思う。
また、写真との距離感を保つことは、自己認識とも深く関連している。
SNSが普及する中で、写真は一瞬で多くの人々に届く手段となった。
しかし、その瞬間性と同時に、写真が持つ力が過大評価されがちだ。
写真は瞬間を切り取るものであるが、それだけではその瞬間の全てを理解することは難しい。
写真裏側にはストーリーや感情が潜んでおり、その深層を見抜くことができるのは撮影者自身だ。
SNS用に加工された写真が氾濫する中で、写真に対する期待や承認欲求が膨れ上がりがちだ。
しかし、写真はあくまで一部始終を切り取った断片であり、それが全てではない。
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自分を他者と比較し、承認を求める姿勢よりも、写真を通じて自分と向き合い、自分を磨こう。
写真との距離感を保つためには、「気づく」ことが欠かせない。
写真に写る瞬間を通じて自分を見つめ、変化や成長に気づくことで、写真は単なる記録以上の存在となる。
そのためには、ノーマルカメラで自然な状態を記録し、その中から気づきを見出すことが大切だ。
自分を加工せず、そのままの姿で写真に収めることで、真実味ある瞬間が残る。
加工に頼らず、自らの成長や変化を写真を通じて追いかけることで、写真との距離感を保ちながら、自分を見つめ直すことができる。
この姿勢は、写真が持つ力を最大限に引き出すことにつながる。
写真は感動や思い出、物語を伝える媒体であり、それがより深い意味を持つためには、自分自身と向き合いながら撮影することが欠かせない。
写真との距離感は、単なる技術や加工の有無だけでなく、自分との対話と成長の過程で築かれていくものだ。