「みんなが当たり前にできることが、私にはできない」

私という人間を一言で表すとこうだ。運動音痴、手先が不器用など、苦手なことをあげればきりがないが、「21年間、彼氏がいたことがない」コンプレックスほど根深いものはない。

自分は「かわいくない側」なんだ

彼氏が「できる」「できない」ということを強く意識し始めたのは高校1年生の終わり頃だった。共学の高校では、「かわいい」と評価される子から続々と彼氏ができ始めていた。対する私は彼氏ができるどころか、男子から告白されたこともない、仲の良い男友達もいない。

面と向かって言ってくるような人は周りにいなかったが、自分は「かわいくない」側なのだなと悟った。

そこから私は男性の視界に入りそうなことを“自主規制”するようになった。

高1の頃は学級委員をやったり、軽音楽部でギターボーカルをやったりしていたが、目立つことは控えるようになった。かわいい子が前に立ったほうが、みんなが喜ぶ。かわいくない私は、需要がない。「ブスのくせに」と言われたくない――。

そんな思いから人前に立つことは片っ端から避け始めた。3年生の文化祭で私をバンドのボーカルに誘ってくれる人もいたが、そんなありがたい誘いも断った。私の周到な“自主規制”は、集合写真でできるだけ後ろの目立たないポジションを確保することや、男子が気を悪くしないように目を合わせて話さないことにまで及んでいた。

彼氏がいたことは「当たり前」で進む話

それでも、高校の頃は「いつかは自分にも彼氏ができるんじゃないか」という希望があった。しかし大学生になった今、現実にはよりつらく感じる場面が増えただけだ。

大学内のコミュニティでは、彼氏がいる、もしくは今はいなくても一度くらいはいたことがある、という前提で会話が進んでいく。そのたびに「みんなの『当たり前』に私は届いていないんだ」というみじめさに苛まれる。

そこまで気の知れていない人から恋愛経験を聞かれた時には、「今はいないけどいたことはある風」を装って、傷つけられないようにその場をしのいできた。

ある程度気を許している友人の前で正直にいたことがない、と言うと、多くの人は「いたことありそうなのに」「まだそういう人に巡り合えてないだけ」と言ってフォローしてくれる。優しく気遣ってくれている友人に恵まれて幸運なんだと思う。だけど、そんな優しさすらつらく感じてしまう。
「大学生になったら、やっぱり彼氏がいたことがあるのが普通なんだな」「彼氏がずっといないってフォローされるような恥ずかしいことなんだ」と余計に再確認させられるから。

いっそ「その見た目じゃ彼氏いないでしょ」と切り捨てられたほうがよっぽど楽になれる、みんな心の中ではそう思っているんだろうからはっきり言ってほしい、というわがままな思いさえもっている。

対等な評価を求めて「新聞記者」を望んだ

社会(より正確には男の人)が求めているだろう「かわいい女性」でない、という意識は今夏まで続けていた就職活動にも大きく影響した。

「顔選」だという噂のキラキラした業界は「華やかじゃない自分には到底縁がない世界」という”自主規制”をして候補に入れようとすらしなかった。複数の女友達から「結婚するから転勤したくない」という言葉を聞いたときは、「私は結婚もできるか分からないしなぁ」と共感できなかった。多くの企業が「女性の働きやすさ」をアピールしていたし、重視している友人も多くいた。だが、そこで想定されているのは一定水準以上の容姿で、結婚や出産を当たり前の未来として考えている「女性」であって、私は当てはまらない。それゆえ「女性の働きやすさ」を自分ごととして捉えられなかったのだ。

だから「男も女も関係なくバリバリ働く」と記者の方が口をそろえて言うのを聞いて、結婚もできるか分からない、ましてや出産なんて…と感じている自分にはぴったりな仕事だと感じた。性的魅力がないことが仕事の面でむしろプラスに働くのではないかとさえ感じた。

何かの当事者になるわけではなく、裏方として表舞台に立っている人たちを追いかけるというのも、人前に立って目立つ事を避けてきた私に合っていると思った。

こう考えた私は、女として見られないほど男性と対等に評価してもらえるのでは、という期待も込めて新聞記者になることを選んだ。(記者になることを決めた今では、男性社会にいるからこそ女性が感じるつらさもあると理解し始めたが、それはまた別の機会に書くことにする)

「かわいくなって彼氏を作りたいなら、整形するなり、出会い系始めるなり、行動すればいいのに」

ここまで読んでそう感じる方もいるかもしれない。至極真っ当な感想だと思う。自分でも頭ではそうするべきだとわかっている。

だけど、他人から向けられる「かわいい」という基準からはみ出した女子に与えられる「ブス」というジャッジメントが私を縛りつけてきたのに、自分のような可愛くない人間が恋愛に積極的になっていいんだろうか、というジレンマから一歩を踏み出せない。

高校時代にブスという共通点で心を通わせていた友人が、その呪縛から抜け出そうと必死に化粧やダイエットを頑張っているのを見ると行動を起こしていてえらいなと心から思う。
所詮自分は傷つくことが怖いから、「ブス」を隠れみのに使っているだけだということにも気がつき始めているけど、負のループをなかなか断ち切ることができない。

「かわいくない」「女性らしくない」という自分に貼りつけられたレッテルをどうはがしていく、もしくは生かしていくのか。その問いに対する自分なりの答えをまだ私は見つけられていない。