思えば幼稚園あたりから、私は写真に写った自分の容姿に違和感を持っていた。当時仲の良かった友達はみんな可愛くて、細くて、キラキラしていたのに、私だけ色黒でぽっちゃりとしていたので1人だけ浮いているように思えた。

当時は違和感を持つくらいでそこまで気にしてはいなかったが、あの感覚は尾を引いてその後の私の人生に影響を及ぼす。

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小学校に上がってからの内科検診で学校から「あなたは肥満です」と書かれた紙を貰ってきた時、ものすごく惨めな気持ちになって破り捨てた記憶がある。

一番相談すべき相手であろう母親には相談できなかった。当時の母親は私が何故太っているのか、二重瞼じゃないのかと責め立ててくる人間だったから。そんなの私だってそうなりたくて生まれてきたわけじゃない。寧ろこっちが聞きたかった。

運動会、金管クラブの発表会、合唱コンクール、持久走、卒業式など学校行事では必ずと言っていいほど写真を撮る。その度に自分の容姿は周りと違うという違和感を持っていたし、写真を撮られるのが嫌だった。

仲のいい友達に相談するという手はなかった。みんな可愛いから悩んでいないだろうし、どうせ理解してくれるわけないと決めつけていたのだと思う。

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高校に上がってからはYouTubeを見てメイクを研究したり、栄養バランスを工夫して嫌いだった運動もして体重を10kg以上落としてみたり、髪を染めてみたりと自分なりに見た目を変える努力をした。

一時期は自分の容姿に執着しすぎた結果、みんなで写っているのにも関わらず自分の顔だけを加工して(目や輪郭の補正)友達に写真を送っていたこともある。思い返すと本当に自分勝手で、申し訳ないことをしたなと思う。

19歳頃に摂食障害と診断され30kg代に体重が落ちた時に、同時に醜形恐怖症とも診断された。この辺りは美容医療に手をつけ始めた頃で、アルバイトのお金が入ると鼻にヒアルロン酸を入れに行ったり目を二重にしに行った。20歳になって振袖を着て写真を撮ってもらった時は、メイクさんに綺麗にしてもらったにも関わらず写った姿が嫌すぎて泣いてしまった。

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最近はたと気付いたのは、私は見た目に自信がないだけでなく中身に自信がないということ。写真はそれを見た第三者に、目に見えない中身まで見透かされてしまいそうな気がして25歳になった今もまだ好きになれない。

社会人経験がないに等しいから年相応の立ち居振る舞いが身についておらず、それを身につける努力すらしていない。そんな状態のまま年齢ばかりを重ねていって中身は子供のままなのが、写真を通して伝わってしまっている気がする。

自分なりには幼少期から今の見た目になるまでに努力をしたと思うものの、昨今よく聞く「垢抜け」をしているわけでなく、おとなしく垢抜けない印象に見られるタイプだ。「誰もそんなに他人を見ていない」「気にしていない」と言う人がいるけれど、意外と人は見ているのではないかと思ったりする。

Xはじめ、Instagram、TikTokなどのSNSではビジュアルのイメージが強く出る。ルッキズムは勿論良くないし、見た目だけで判断されたくもしたくもないとは思いつつも、きっと各々が視覚的に判断してしまうという面もあると思っている。

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今でも写真を撮る時は緊張してしまうし、自分なりの尺度で「良く」写らなかった時は1日中気にしてしまう。家族とせっかく旅行に来ている今現在も記念に撮った写真を楽しく見れなかったり、周囲の旅行客と自分を比較しては落ち込むといった無意味なことをしている。

写真との距離感は、いまだによく掴めていない。でも、自分の顔だけを加工していたあの頃から比べれば執着の度合いは段々と低くなっているのかもしれない。