私はそもそも食に対する興味がない。毎食格安の納豆キムチごはんでもいいくらい。
おばあちゃん子だった私は、彼女にいろんなご飯を食べさせてもらったはずだが、自分で作れるようになりたい!とはならない。「おいしい」のレンジが広くなっただけだ。
でも、だからこそ「あれは特に美味しかったなあ」と思う料理は何個もある。
亡くなってしまったおばあちゃんは、なんでも手作りする人だった
もう亡くなってしまったおばあちゃんは、なんでも手作りする人だった。味噌や梅干しを筆頭にして、らっきょう農家だったのでらっきょうも酢漬けをしていたし、デザートの王様のメロンだって栽培していた。
おばあちゃんの手が触れてできる味噌は、なにか特殊な魔法でもかかっているかのように美味しかった。味噌汁には大根を入れてもいいし、シンプルにワカメだけでもいい。
私が特に好きなのは、じゃがいもと玉ねぎが入った味噌汁。ほくほくのじゃがいもも、あまーい玉ねぎも、すべて農家のおばあちゃん自家製だ。
年末には餅をついた。おばあちゃんが下拵えして自動餅つき機でつきたての、熱々の餅をみんなで一斉に丸くする。最初は絶対、おじいちゃんが大きな鏡餅を作る。その後に私たち孫が白餅だったり、よもぎ餅だったり、とち餅だったりを丸めていく。細かい海苔の入った餅も意外に美味しいし、ピーナッツが入った餅も食感が楽しい。手のひらを真っ赤にしながら食べる、つきたての餅のおいしさと言ったら。
料理は目分量なのに毎回おいしく、私の好物をたくさん作ってくれる
正月にはもちろん手作りおせちがある。だから年末のおばあちゃんは大忙しである。
石油ストーブの天板で黒豆をことこと煮ながら、田作りを作り、だし巻き卵を作り……。私は甘く煮込まれた黒豆が大好きで、それを知っているおばあちゃんは黒豆を多めに炊いてくれた。
地元の鳥取中部のお雑煮は、いわゆるぜんざい、お汁粉である。だからこれも自家製の小豆を、じっくり煮込んで餡子を作り、餅もとろとろになるくらい煮込む。
私の好物を、おばあちゃんはたくさん作ってくれた。仕込みも後処理もめんどうなからあげをいっぱい揚げてくれたし、弟が好きな大葉の天ぷらも揚げてくれた。皮がパリッパリの鯵の南蛮漬けも絶品だったし、いかなごのくぎ煮もご飯が進んだ。
おばあちゃんの料理は目分量なのに、毎回おいしい。炊き立てのお米を、しわしわの細い手で握ってできた塩むすび。それを食べて起きるお泊まりの朝が、小さなころの私の幸せだった。
ホカホカ湯気を立てる料理のありがたさを、もっと早く知るべきだった
大学生になって、一人暮らしを始め、そこで私は途方に暮れた。スーパーで買うべき味噌がないのである。理想はおばあちゃんの味噌。ちょっと大豆の粒が残っていて、塩味が強く、コクもあるやつ。どう探したってスーパーにはない。
妥協して買った味噌で作った味噌汁は、やっぱり美味しくない。おばあちゃんの味噌汁のように、しみじみとした美味しさは遠い。じわっと広がる、なんでも受け入れてくれるような美味しい味噌はいまだに見つけられていない。
おばあちゃんが亡くなった今、料理を教えてもらっていればよかったなあと思う。目分量でもなんでもいいから、とりあえず手順をメモしておけばなんとかなったかもしれないのに。
二度と食べられらないという点では、おばあちゃんの作った料理は全て「忘れられない味」である。ホカホカと湯気を立てる料理たちのありがたさを、私はもっと早くに知るべきだった。
エッセイを書き始めると、あれも作ってくれたし、これも作ってくれた、あの料理はおいしかったけど、なんていう料理名だったのだろうと思いだす。
そして、お腹いっぱい食べて「ごちそうさま」と言ったら、おばあちゃんは必ず「おそまつ様でした」と返してくれる。あの声をもう一度聞きたい。