私は19歳の時に病気を患い手術をした。正直それまで自分が病気にかかると思っていなくて、医師から病名を告げられた時も実感が湧かず「まあ手術すれば治るよね」という軽い気持ちだった。まさかその時の経験が、25歳になった現在も心の傷として残っているとは思いもしなかった。

手術は私が思っていたよりも壮絶なものだった。まだ25年間しか生きていないけれど、それでも、あの日以上にしんどい日はもう来ないだろうなと思えるくらい、辛い1日だった。

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そしてその後も辛い日々は続いた。手術痕が綺麗に治らなかったのだ。幸いそんなに大きな痕じゃないけれど、それでも服を選ばないといけなくなった。好きな服が着れなくなった。夏に暑いからと言って安易に薄着になることが出来なくなった。何も意識せず手術痕が見える服を着ると、誰かと会話してる時に目線がそこにいっているのがわかる。隠すしかなかった。これが一生続くと思ったら辛い。好きな人ができても、相手にどう思われるかわからなくて恋愛もできなかった。

そんな悩みを抱えている中で、学生時代の友人と再会し、頻繁に会うようになった。話も合って、言いたいことも言えて、元から仲が良かったから再会してもすぐ学生の頃に戻ったかのようだった。この子になら相談できるかな。ふとそう思った。一緒に帰り道を歩いている時に、何気なく切り出してみた。「私手術痕残っててさ」。そしたらその返答は、期待していた何かを裏切られたような「ふ〜ん」とそっけないものだった。間違えたと思った。打ち明けなければよかった。今思えばそれはその子の優しさだったのかもしれない。気にしてないよと伝えたかっただけかもしれない。それか、なんと声をかけたらいいか分からなかったのかもしれない。

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それでもその時の私は悲しかった。私の気持ちが100%分からなくても、分からないなりに向き合って欲しかった。気にしてないなんて思わないでほしい。この手術痕は私を悩ませている根元だけれど、辛い大きなものを乗り越えた証でもあるから。「頑張った証拠だね」と一言言って欲しかった。こんなにも楽しいことを楽しいと共有できて一緒にいて心地いいのに私の辛いことは一緒になって減らそうとしてくれないんだと、期待してた自分が情けなくなった。それと同時に私は同じようなことを他の誰かに今までしてこなかっただろうかと自分の過去を思い返した。ちゃんと相手の気持ちを考えて汲み取って行動できていただろうか。たとえそれがその人にとって正解じゃなかったとしても、向き合えていただろうか。いや、できていなかったと思う。自分が経験して初めて気づく。私もまだまだ子供だ。

世の中にたくさんの人がいる中で、私を選んで私にコンプレックスを打ち明けてくれる人がこの先いたら、自分なりに向き合っていきたい。そう強く決心させた出来事だった。ちなみにその友人のことが嫌いになったわけではない。勝手に期待していた私も悪い。けれどいつか私の痛みが分かってくれる時が来たらいいなと、ほんの少し望みをかけて楽しさの共有は続けていきたいと思っている。

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人の悩みは大なり小なりそれぞれだ。客観的に見てちっぽけな悩みでもその人がすごくそれで悩んでいるなら大きな悩みと言えるだろう。「悩み」は主観で判断するべきことなのだと私は考えている。ただそこに寄り添えるかは、経験の差とどこまで相手を大切に思っているかが顕著にでる。

私は25歳になった今でもちゃんとした恋人ができたことがないけれど、頑張ってこの手術痕に自ら向き合って、一緒になって悩みを減らそうとしてくれる人といつか出会えたらなと思う。そのためにも手術痕も含めて自分を愛せるように内面から自分磨きをしていきたい。

明日が来ることに感謝して楽しく、時には悩みながら元気に生きていきたいと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。