毎日似たような朝。大体同じくらいの時間に寝るから、同じような時間に起きる。仕事をして、同じ時間に家に帰ってきては、一人分の夕食を作って、図ったわけではないけど、同じような時間に寝る。
繰り返す日々に、少しずつ疲労が蓄積してきて、家事に綻びが出てくる。お米を炊いて食べる分だけを食べて、寒くなってきたからと余った分を冷蔵庫にも入れず、炊飯器に残ったままのご飯。コンロに乗ったままの鍋の味噌汁。
疲れた朝、おかず作って、お米を温めてゆっくり朝食をいただく時間はない。時間はないけど朝ご飯を食べておかないと、お昼にお腹が減ってしまう。コンビニのおにぎりは疲労を余計強調してしまうから、今日は家で食べておきたい。

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幸い、コンロの上の放置されたままの鍋には、ほうれん草とお豆腐、お揚げのお味噌汁がある。
家を出るまで時間はちょっとしかないけど支度している間に、このお味噌汁を火にかけておく。フツフツと音がしてきて、お味噌の香りもしてくる。支度が終わり、あとは食べて家を出るだけだ。
大振りのお茶碗に、冷たいままご飯をしゃもじの半分ほど盛り付けて、今温めたばかりの熱々のお味噌汁をお茶碗いっぱいにたっぷりと注ぐ。すると、熱い汁も少し冷めて好い温度になる。
一口食べる。なんだか懐かしい味に感じる。何気なく気が向いて久しぶりに食べるねこまんまほど、平凡で美味しいものはないのかもしれない。
小さい頃、「御行儀が悪いからやめなさい」と言われて、食べたかったけどあまり食べられなかった、ある意味あこがれの味。
今では、ねこまんまは私のほしいままだ。

お出汁とお味噌でひたひたになったほうれん草は、その緑の濃厚さで奥行きを作っている。きつねカラーのお揚げは噛むとお出汁と油の旨みを滲み出し、ねこまんまでは主役の座に位置する。白ごはんは普段とは違う、バラバラのさらさらとなって、あっさりとした味わいになる。一口大のお豆腐の、白の空白もたまらない。塩気も甘みも控えめの、ほんのりとした大豆の淡白なこの空白が、次の一口を待ち望ませる。口へ掻き込ませたくなる。
寒くなってきた朝、さらさらと、この好い温かさのねこまんまが、私の身体もほんのりと温めてくれる。

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ふと、北海道に住む祖父母の家の倉庫に勝手に住んでいた数匹の猫たちのことを思い出した。その猫たちは、ねこまんまを「ねこ」の名の通り食べていた。
北海道の祖父母の家には、私が中学生以降行っていないから、もう15年くらいも前の記憶なのだが。

猫たちは北海道の厳しい冬の中にも隙間を見いだして、案外ぬくぬくと生活していた。祖母は、耕作機をしまうその大きな倉庫に住み着き始めた猫たちに寝床を置いてやり、しまいには電気カーペットまで置いてやっていた。祖母は朝になると、夕べの残りの味噌汁と冷やご飯を大きな鍋で温めて、その鍋とお玉を持って倉庫に向かう。
幼い私もそれについて行ったことがある。倉庫の暗がりで、猫たちは「遅いぞ」とでも言いたげな表情で待っていた。祖母が餌皿にお玉からねこまんまをよそってやると、猫たちはムシャムシャと夢中で食べていた。

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今どきは、塩分やネギ類など猫にとって害となるものを気にして、猫に本当にねこまんまをやる人は、少なくなったのではないかと思う。それでもたくましく生きていた北海道の猫たち。昔は猫も強かったんだな、と思いながら私も最後の一口を掻き込む。
お箸をおいて、いざ、出発。