私が19歳になったばかりの時に父が急逝したのだが、あの時、悲しむ暇もないほどに葬儀の打ち合わせが淡々と行われていった。

当時高校生だった妹はショックのあまりにその打ち合わせを覚えていないらしいが、私は大学生だったこともあり、気が動転している母が心許ないので前のめりに打ち合わせに参加したのだった。

身長が180センチ近くあった父。
「日本人男性の平均身長が170センチ前後ということで、故人様の身長ですと棺をサイズアップするためにオプション料金が発生します」と葬儀社の方が話す。

身長が高いことがここで仇になるとは父も思っていなかっただろう。
母が返事もできない様子だったので私が代わりに「分かりました」と葬儀社の方に返答した。

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次は遺影用の写真。
「故人様の写真で遺影にしたいお写真を複数枚持ってきていただけませんでしょうか?」と言われ、母と妹は一時帰宅して写真を持ってきた。

ただでさえ家族写真を撮るのは決まっていつも父だったので、写真の枚数も少なかった。
その上、喜怒哀楽の乏しい父だったので、どの写真も遺影として残すには「この表情ならマシか」と妥協せざるを得ないものばかり。

母と妹と決めた1枚を葬儀社の人に渡すと、「故人様のお召し物を、このようなスーツ姿の上半身と合成いたしますので○○円となります」と言われる。

またしても料金発生。
出来上がった遺影は、私が大学の授業で学んだPhotoshop(写真の加工ソフト)でサクッと加工した程度の仕上がり。

一生残るものがこんなにも淡々と料金が発生して、思い入れのないものとなってしまうのが悲しくてしょうがなかった。

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そのことがキッカケで、私は自分の誕生月に毎年個人写真を残すのが自身の恒例行事となった。

それは自分がいつこの世から居なくなってしまうかは分からないから。

残された家族に残すことができる、減ったり無くなったりすることのないプレゼントは、家族が直近最後に見た元気で綺麗な姿の遺影だと私は思う。

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最初は父の遺影がキッカケとなり、毎年撮ってもらうようになった私の写真だが、年々「内から湧き出る変身願望」を投影している自分に気がついた。

今年はお着物をレンタルして着付けてもらい、女流作家風。
去年は金髪ショートヘアでブルーライトカットメガネをつけてデジタルクリエイター風。
一昨年はドライフラワーの花束を持って、冬場に半袖のモヘアニットを着てサロンモデル風といった具合だ。

こうして毎年撮ったデータは母のLINEにアルバムを作って共有している私だが、「内から湧き出る変身願望」とは、大人になるにつれて多くの人が心に蓋をしてしまう部分のように感じる。

「いい歳してこの服は若すぎるかな」とか、「私のキャラにはその髪型は似合わない」だとか。

だからこそ、心の中で小さくくすぶっている声に耳を傾けていきたいと、そう思えるようになったのは父のおかげと言えるだろう。

喜怒哀楽が読み取れない父の遺影を見つめながら、父はどんな人として一生を終えたかったのだろうと思い巡らせ、来年8回目の父の命日を迎える。