私の父は今で言うイクメンだったのだと思う。我が家は普通の家庭とは反対で母が朝から夜遅くまで仕事をしていてほとんど家にいなくて、父がご飯を作ったり、私と姉をお風呂に入れたり、寝かしつけたりしてくれたから。

授業参観も父が出席して、習い事の送り迎えも父がしてくれて、学校の親子レクも父が一緒に来ていた。だから、姉の友達に我が家は父子家庭だと思われていたらしく、その友人が母を初めて見た時はとてもびっくりしたそうだ。「あんた、お母さん、いたんだ?!」と。

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私が物心ついた頃にはそれが普通だったから、父がキッチンに立って料理をしていた後ろ姿をとてもよく覚えている。細身で背の高い父は、いつもデニム生地のエプロンをつけて料理をしていた。たまに料理に使うお酒をちびちび飲みながら、上機嫌で晩御飯を作っていたこともあった。父が晩御飯を作っている最中に私と姉はダイニングテーブルで音読や算数のプリントの宿題をするように言われて、宿題が終わると晩御飯になることがしょっちゅうだった。

こんなふうに説明すると、私の父はすごくいい父親みたいだけど、全くもってそんなことはない。なぜなら父の作る料理は美味しくなかったから。味噌汁といえばくたくたに煮た小松菜と豆腐ともやしの入った味噌汁(しかもなぜかひきわり納豆入)、野菜炒めといえば水分が下に溜まったほうれん草としめじともやしの醤油炒め、ラーメンはチャルメラの袋ラーメン(これももやし入)、どれも美味しくないなぁと思いながら食べていたから、全然箸が進まず、もっと食べろとよく父に怒られた。

父は揚げ物が得意でトンカツを手作りしてくれたけれど、市販の冷凍食品のフライドポテトやエビフライ、コロッケやメンチカツもよく揚げてくれた。これは美味しかったから、揚げ物はとても好きだった。それからハンバーグもよく作ってくれた。ハンバーグは食べても美味しいし父と一緒に好きな形を作って焼けるから、ただのご馳走ではなくレクリエーションの一つだった。

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ハンバーグの日は決まって、父も楽しそうに「今日の晩ご飯はルリルラの好きなハンバーグにしよ〜!」と話すと私をスーパーに連れて行った。私が作ったハンバーグを父と母に美味しいねと言って食べてもらえることも楽しみの一つだった。ハンバーグにつけるソースもただ中濃ソースをかけるのではなくケチャップと混ぜたり、ポン酢に合わせる大根おろしを作ったりしていたので、ハンバーグの日は私にできるお手伝いがいつもよりあってそれがとても嬉しかった。

土日の朝ごはんはホットケーキかフレンチトーストが定番で、どちらも少し焦げていて、「少し焼きすぎたかな?」と父は言いながらいつも作ってくれた。どちらも私も手伝えるから食べるのも作るのも楽しみだった。

レパートリーが少なかった父の得意料理も気がつくとたくさん増えていた。カレーライスにオムライス、アップルパイにコーヒーゼリー、どれもこれも私と姉の大好物だった。「ルリルラ、お味はおいしいかな?」父は決まって手料理の味を私たちに聞いていた。

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この前、その話を母にしたところ、母は一言、「でもね、お父さん、洗い物が苦手でね。いつもシンクいっぱいに食器が置いてあってね、仕事から帰ってからお母さんが食器を洗っていたよ。」と笑いながら教えてくれた。

不器用だけど、父なりに一所懸命毎日の献立を考えて作ってくれていたのだと思う。私と姉が美味しいと言って喜んで食べていた、いろんな手料理を幾度となく試行錯誤してくれていたのだと思う。あれから10数年が経過して、私は父が作ってくれた料理の大半を作れるようになった。父も当時は作れなかった料理をたくさん習得している。そして、父の作る味噌汁も今はとても美味しい。

お父さん、あの頃、毎日私たちにご飯を作ってくれて本当にありがとう。お父さんのおかげで料理の楽しさとお手伝いの楽しさに気づけたから、今、私は身の回りの自分のことはできるようになっています。小さな子供だった私にもできることを教えてくれてありがとう。