かれこれ6年ほど継続してSNSにアップしている写真がある。
気負わず、撮りたくなった時に撮って、人間関係や周囲への影響も何も考えずにSNSにアップされるそれは、決して多くはないが、どれも私のお気に入りだ。
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偶然見つけてくれた人が、たまにいいねを押してくれるほどで、ほとんどの人には見つからない私だけのお気に入りたち。
そのアカウントに足を伸ばすと、画面一面には白と青の美しいコントラストが広がる。
意識せずとも常に私たちのそばにある空。
2度と同じ顔を見せない空の顔を私はSNSに投稿し続けている。
被写体を撮るのは昔から得意ではないし、撮られることも得意ではない。
人はいいようにうつりたい生き物だ。
自身を客観的に映し出す写真と、鏡で補正した自身の姿に時折失望することはしばしば。
最近は撮影側の技術で体型から顔の骨格まで、加工なしでも補正できる技術が世の中に溢れている。
私自身もそういった部分についてなるべく学び、少しでもフォルダに残したいと思えるような写真を撮っているし、撮られたいと思っているが、いざ撮影された写真を確認すると大体思うことがある。
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「もっといい感じに撮ってくれたらいいのに」
おそらく私が撮った写真に同様のツッコミをいれている方々もいるだろう。
個人的にはよく撮れたと思っていても、被写体側の意向に沿ってなくては意味がない。
そんなせっかく撮ったのにという気まずさから、人間を撮ったり、逆に撮られたりすることが自然と得意ではなくなった。
一方で風景や物体というのは動かないし、意図を持たない。
彼らは私たち思った通りに写り、何度撮り直しても不機嫌になることはない。
妙な駆け引きもいらないそれは、人間を映し出すより素直に写ってくれる。
無意識下で私は人間から物体を映し出す機会が増え、画像フォルダには風景や静止物体の画像が増えていった。
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空の写真を定期的に取り出したのは、ちょうどその頃人生のどん底期であり、目線を上げるきっかけになればとSNSを開設したのがきっかけだった。
毎日見上げる空ではあるが、1日でも朝と夜では見せてくれるかもが違い、季節や天気によっても全然違う景色を見せてくれる。
様々な顔を持つ空だが、私の空写真ポリシーは綺麗で、自分が見返したいと思えるような写真であること、だ。
そうすると必然的に美しく爽やかな澄んだ空の写真アカウントになっていった。
何年も撮り溜めていると、不思議と四季ごとにアップされている写真の傾向が見えて面白い。
春は比較的雲が少ない一面真っ青な青空。
夏は油絵の具で塗ったような濃い入道雲が濃い青と対比して映える。
秋は空一面を覆い尽くす鱗雲が特徴的。
冬も秋に近しい空ではあるが、アカウント開設時は日本海側に滞在していたため、曇天の日が多く、結果として合計の枚数が少ない。
同じ空は2度とないが、季節ごとにそれぞれの空が帰ってきたようで、愛おしい気持ちすら芽生える。
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また、面白いことに、その時々の自身のメンタルによって年毎に写真の枚数が違うのだ。
開設1~2年目は、ひたすら自分を奮い立たせながら日々を過ごしていたため、枚数多め。
3年目から4年目は社会人となり新しい業務に大変さを覚える一方、仕事を覚える充実感が高く、比較的枚数は少なめ。
そして昨年から今年にかけては、一通り仕事を覚え俯瞰的に業務に携わることはできるようになった一方で、次のステップに進みたいのに現実が伴わない苦しさがあり枚数が増えた。
苦悩があるほど空の写真に縋っているように思う。
自分の人生のバロメーターとなりつつある空写真アカウント。
ただの空のように見えて、私の人生を表すそのアカウントを、サービスが終了するまで続けたいと思う。
そしていつの日か、あんなこともあったなと懐かしむ酒のつまみとなる事が楽しみで仕方がない。