「ごちそうさまでした〜!」
「ありがとうございました!楽しんできてね〜!」
「誕生日おめでとう〜!」
「ありがとうございました〜!いってきます!」
みんなに見送られながら暖かい雨の降る街へと繰り出す。心身ともに温まった手も、エレベーターを前にだんだん冷めるのがわかる。
エレベーターの扉が開き、目の前にはガラスに金の文字が彫られた高級感漂う看板。
「いらっしゃいませ」
しわ1つないスーツを着たお姉さんの登場に、一気に体が硬直する。
「あの、1人で初めてですけど大丈夫ですか?」
「もちろんです。カウンター席へどうぞ」
街の喧騒から隔離された静かで薄暗い空間。
案内されてすぐ目に飛び込んだのは、美術品のように輝くボトルの海。
「うわあ」
革張りの椅子に座り、溜息が出るほど美しい光景に見惚れる。
「何になさいますか?」
「あ、じゃあジントニックでお願いします」
初心者にも安心な金額の書いてあるメニュー表からよく飲むお酒を選ぶ。
「ジンのお好みはございますか?」
「え、あ。お姉さんのおまかせでお願いします」
まさか続きがあると思わず、しどろもどろになる私にお姉さんが微笑む。
「緊張がうつっちゃいますね」
そう言いつつNO.3と書かれた綺麗な青緑のボトルから手際よく生み出されたジントニックは、あまりお酒を飲まない私でも目を見張る程美味だった。
私の人生史上初で埋め尽くした、28歳の1日目。
一目惚れしたBARで、静かに、華々しく誕生日の夜が幕を開けた。
◎ ◎
平日は24時間のうちの大半を仕事に費やし帰ってご飯を食べて寝る。
休日はもっぱらスタバで執筆や創作活動に打ち込み、すっかりルーティーン化してしまった私の人生。
「つまんない」
無意識に脳裏をよぎる本音にどうにかせねばという焦りがまとわりつく。
食べ物も人生も、スパイスを好む私にとって、安寧は退屈そのものでしかない。
くすぶっているところに、タイミングよく近づいてきた誕生日。
「ここしかない」
かくして、全部が初めての28歳誕生日計画が始動した。
初めてのカフェでモーニング、初めての1人温泉、初めてのiPadとApple pencil、初めての1人立ち飲み。
そして、初めての正統派BAR。
直感的に素敵だと思ったそのBARは、ネットの視覚情報だけでは想像もできないほどに五感で私を楽しませてくれた。
「いらっしゃいませ」
ジントニックを飲んでいる途中に現れた白いジャケットに赤の蝶ネクタイをつけたマスターは、若い女性と話すのは苦手で、と言いながら忙しい中でもたくさん話しかけてくれた。
1人でいらしてるビジネスマンの常連さんも優しく声をかけてくださった。
お酒の美味しさや雰囲気の良さだけでなく、BARという場だからこそ生まれる人間的な繋がりや情報収集の大切さも学ぶことができた。
何より、世界にはすごい人間がたくさんいるんだなと、改めて謙虚に一途に頑張らなければという思いが芽生えた。
◎ ◎
「落ち着いた時で大丈夫なのでチェックお願いします」
「え!もう帰られるんですか!寂しいです」
「また、お邪魔しにきます」
名残惜しい、そう思えるくらいの時間がちょうどいい。
「ぜひ、またお待ちしてます。あ、そうだ。これケーキじゃないけど美味しいよ」
手渡されたバームクーヘンを持って、温かみを感じる看板とマスター、お姉さんに見送られながら、頭を下げエレベーターの扉を閉めた。
初めてのBARは、格式の高さと大人の心地よさが程よく溶け合い、28歳という年齢がまだまだ子供だと思えるほどに、深い空間だった。
しかし近寄りがたくなるのではなく、むしろ見合う大人になりたいと思った。
外は相変わらずざわつき、街は人間の匂いで埋め尽くされていた。
しかし余韻が街の喧騒をキャンセリングし、朝8時から行動した疲労も感じさせないほど足取りを軽くする。
子供のような発想力と行動力、大人の余裕とスマートさを掛け持つ大人になる。
心地よさの中、私の28歳初の目標が決まった。