「日本一寒い場所でも、やる気は誰よりも熱いです!」
これは初めてその人に会った時、彼女が言っていた言葉だ。
私はこの言葉を聞いて、彼女についていこうと決めた。

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就職活動真っ只中のある日。
地上スタッフを募集している某大手航空会社のグループ会社が一堂に会して、合同説明会を行うイベントがあった。
日本の大手航空会社といえば二手に挙げられると思うが、そこは叶うならご縁がありますようにと思っていた方だった。

簡単に説明すれば、地上スタッフは拠点から地方に異動する客室乗務員とは違い、地方ごとにグループ会社があり、その会社に就職すれば基本的にはその空港で働き続けるのが前提である。

私は地上スタッフになれるなら正直どこの空港でもよく、かといって空港ごとに大きな違いはないため志望動機や自己PRに悩んでいたところで、何か活かせたらいいなと思いこのイベントに参加した。

北海道、関西、福岡、沖縄etc…。全国の地方空港からきたスタッフが、PowerPointを使ってプレゼンを兼ねたそれぞれの空港の特色や働き方を説明してくれた。どの空港も魅力的でますます働くのが楽しみになったし、どこかとご縁がありますようにとより強く願った。

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結果的に、私はその某航空会社のグループ会社から複数内定をいただくことができた。
正直、とても迷った。こんな贅沢な悩みはそうそうないと思うが、どこも馴染みのない地方だからこそどうしても決めきれなかった。そんな時思い出したのが、冒頭の言葉だ。

合同説明会の際に明るく楽しそうにプレゼンしてくれた彼女の言葉は不思議と強く印象に残っており、就活ノートにもしっかりとその言葉をメモしていた。
「ああ、あの人についていけばいい社会人になれるかも」
そう、私の直感が働いた。

その直感を信じて選んだその職場で、その人と縁があることを改めて知ることとなる。
配属された国際線の中でもさらに3つにチームが分けられており、なんと私が振り分けられたチームの長が彼女だったのだ。
「ああ、やっぱり間違っていなかった」
私は自分の直感を信じてよかったと、心から思った。
それに他のチーム長は威圧感満載で同期からも羨ましがられ、私は人に恵まれているなとまた少し浮かれた。この時までは。
ここからのことは、一番最初のエッセイにある程度書いているのでそちらを読んでほしい。

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気付いたら、その人のことを一番信じられなくなっていた。
犯人が誰か分からないまま続いたいたずらは、防犯管理の点から何度も反省文を書かされた。教育係の先輩も初めこそ私の落ち度だと思っていたけど、途中から味方になって一緒に考えてくれるようになった。先輩の時間を奪い、余計な心配をかけてしまっている心苦しさを強く感じていた時でも、その人は何度も反省文の訂正を指示し、対策も心配の言葉すらかけてこなかった。

心身に不調が出始め、私のスケジュールには教育の代わりに毎日のようにその人との個別面談が組み込まれた。きっと、上からの指示なんだろう。別室で向かい合って座ったその人は、普段の態度とはまるで違っていた。腕を組み、足も組み、片手でスマホを触りながら、鬱陶しいとでもいわんばかりのオーラを目の前に面談は行われた。

私はHSP気質で、「今日こそ絶対に泣かない」と決めていても、自分の本音や思いを伝えようとするとどうしても涙が出てきてしまう。そんな私にその人は毎回ため息をつき、「なんでそうやって毎回泣くわけ?」「今まで怒られずに育てられてきたの?」などと、余計に私の涙を溢れさせた。

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限界を超えた日の夜。
この夜のことは後日、同期がすべて教えてくれた。
いつもなら同期の声掛けに合わせて治る過呼吸も、この時は1時間ほど経っても発作状態が治まらなかった。見かねた同期がチーム長であるその人に連絡をして、私はその人の車で夜間急病センターに運ばれた。とにかく呼吸をすることで精一杯だった私が唯一覚えていることは、車内に安室奈美恵の「Hero」が流れていたことだ。この曲を聴いて通勤している人でも必ずいい人ってわけじゃないんだ、と後日冷静になった私は思ってしまった。

他にも、私が運ばれ処置や点滴を受けている間、「終わるまで暇だからどこか食べに行っちゃう?」と付き添いで来てくれた同期に笑顔で提案したそうだ。私はこの出来事を聞いて、愕然とした。どこまで私の、後輩の私たちの信頼を失えばこの人は気が済むんだろうと。周りの同期もこの話には、私以上に怒りを湧きあがらせていた。その時付き添っていた同期も、やんわり断りながら(この人は何を言っているんだろう)と失望したらしい。

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冒頭の言葉さえ信じなければ、私の10年越しの夢は今でも続いていたのかなと、ふと考えてしまう。
違う空港で、違うオフィスで働いていれば、今もあの制服を着ていたのだろうか。
でも、あの時あの言葉を信じたのは紛れもなく私だ。
誰にも相談せず、一人であの地に飛び立った。
美談にも綺麗事でも済ませられないけれど、「死」について考えるこの先のきっかけになっただろう。

おかげで「メメント・モリ」という素敵な言葉にも出会うことができた。
この言葉に触れたときビビッときて、なぜかふっと安心に似た気持ちになった。
(この先大切にしたい言葉にしよう)。
そう、私の直感が働いた。