パンドラの箱というものがある。今回のテーマに当てはめるなら、知るべきではなかったこと、もしくは知らせてはいけなかったことだろう。人の運命を良いほうにも悪いほうにも転がせるような、とんでもないものがパンドラの箱には入っている。
昨年、一つの箱が開けられた話をしようと思う。前置きが長いが、聞いてほしい。
第一志望が不採用になり、仕事内容重視で出身県でも就活を始めた
東京オリンピック。大阪万博。それに伴う大阪エリアの路線再編。一連の事業の経済効果が大いに期待されたことから、2020年入社の新卒採用は売り手市場の最盛期という様相だった。特に観光や宿泊分野におけるインバウンド需要の伸びはすさまじいものがあり、旅行会社もホテルもこぞって合同説明会に参加していた。
初心に立ち返ることを余儀なくされたのは、第一志望の部品メーカーから不採用通知が来た時だ。当時の下宿街からバスで通うことができて、Iターン就職者も働きやすい条件がそろっていた。結局、条件のみで決めたことが面接官に伝わってしまったのだろう。条件にこだわるよりも、仕事内容を重視しよう。今まで文学部で勉強してきたことや、アルバイトで身に着けたことを活かせないだろうか。そんな風に思った。
折しも両親からは、体調を考慮してUターンを促す声があった。某大手求人アプリでプロフィールを入力し、勤務地を出身県に設定したところ、おすすめされたのが地元の宿泊施設だった。
今思えば、順調に進みすぎている時点で疑うべきだったかもしれない
今思えば、トントン拍子に進みすぎている時点で何か疑うべきだったかもしれない。会社説明会、インターンと面接を経て、正式に内定を頂いた。拍子抜けするほどスムーズだったのだ。発達障がいを公表しても不採用にならなかったことで、安心してしまったということも考えられる。
配属はフロントだった。サービススタッフに比べてペース配分がしやすいので、障がい特性もカバーできるだろうという上司の配慮だったらしい。確かに、想定外の事態を受け入れるのに時間がかかり、ほかの人の動きに気を取られやすい障がいでは食事のサービスは苦しいのが予想できた。落ち着いて接客ができ、予約管理も行うフロント業務は力を発揮できそうだった。
敗因は打ち合わせ不足である。面接の際に、上司と障がいがどの程度のものか、何が苦手かという話はした。だがそれを周りにどこまでオープンにするか、という話はしなかったのである。障がい学生の就活は周囲への根回しが最重要事項ということを、私はすっかり失念していた。
初出勤日。施設の最高権力の一角に命じられた仕事は朝食サービス
初出勤日、朝七時に勤務を開始した私に命じられたのは、サービススタッフと同様に朝食を各席に出しながら接客することだった。指示を出したのは上司の上司。この施設の最高権力の一角だった。この人に発達障がいのイロハを伝えるには、私も直属の上司も如何せん全てが未熟すぎた。ノウハウが足りなすぎたのだ。
朝食サービスは先輩方の協力を仰ぎ、半年間続けた。朝から周りを必要以上に意識してしまう状態は、結果的にフロント管轄業務の支障になってしまった。事態を重く見た直属の上司は遅番に変えてくれたのだが、別の上司から私へのあたりはきつくなった。朝起きられないから代わったとでも思っていたのかもしれない。
フロントスタッフの仕事で成果を出そうにも、コロナで外国語対応はほぼない。転職しようにも求人は激減している。笑顔を張り付けて、毎日カウンターに立った。
知ってしまったあの年の採用状況。来てくれれば誰でもよかったらしい
パンドラの箱は突然開けられた。ある日の会議の中で、2020年の採用状況が語られたのだ。要約すると、来てくれれば誰でもよかったらしい。内定を承諾したのが信たまみだっただけで、ここにいるのが信たまみでなければいけない理由は存在しなかった。流石にこれは知りたくなかった。
もはや固執する理由はないと知り、2か月後に辞表を出した。あくまで価値観の不一致が原因だったので、今も社員との交流は続けている。障がい者採用でオフィスの契約スタッフになったことを報告した際には、我がことのように喜んでくれた。引っ越しの際には処分できないものを預かってもらって助かった。感謝してもし足りないほどである。
神話によれば、箱には人間界のすべての絶望の要因と、一つの希望が入っていた。採用理由は確かに知らなければよかったと思う。しかし同時に、誰でもいいわけではない、信たまみだからこその仕事がきっとあるとも思えた。これぞ希望の本質ではないだろうか。
耳をふさぎたくなるようなニュースの渦中にも、わずかな希望があると信じたい。