わたしの仕事は電車の乗務員だ。毎日毎日同じ列車で同じ線路をいったりきたりしている。わたしの乗る電車は、どれだけ暑い思いや寒い思いをしても、伸びて枝垂れた道端の木の枝が倒れてきても、道に迷った動物が飛び出してきても、懲りずに線路を進んでいく。操縦しているこちらにはそんな根性はない。小学生で習ったピアノは練習が面倒でやめてしまったし、中学は運動部に入ってみたが疲れるのでやめた。ダイエットも続かなければ勉強も続かない。どんなに邪魔が入ろうと終点まで進んでいくその根性はうらやましくも、少し鬱陶しくも思う。ちょっとだけ中学の時の部活の熱血顧問と同じにおいを感じてしまう。頑張らないから結局レギュラーにもなれなかったっけ。

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仕事中は当然スマホは触ることができない。強制的に自分と向き合う時間が与えられる。人は自分と向き合う時間が長いと落ち込みやすいとどこかで聞いた気がする。確かに仕事中にずっと自分の人生を悲観してしまうから、やはりこの仕事は向いていないのかもしれない。でも変化の少ない日々を淡々と過ごすことは嫌いじゃない。そんなことを考えながら来る日も来る日も電車に揺られては、お客さんとちゃっかり自分も見守っている。

なんやかんやでわたしはこの仕事が好きだ。仕事中に遠いところで起きた事件や芸能人のお騒がせ報道をリアルタイムで知ることはできないが、お客さんがスマホで情報を集めている時間で、車窓から、はたまたお客さんから、いろんなことを知ることができる。自分のことばかり考えていると必ず将来を悲観して目眩がしそうになるので、そんな時は車窓とお客さんを交互に見ている。お客さんは基本的に席に座ったりドアの横に立ったりしながら静かにスマホを見ている。

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みんな気づいていないが車窓の向こうではいろいろなことが起きている。近くを飛んでいたカラスが道端の柿の木から実を持って行ったこと、踏切で小さな親子がわたしたちの電車に手を振っていたこと、線路と並行して走っている道路の物陰にパトカーがいること。キリがないくらいいろんな出来事が発生している。季節によってもいろいろだ。春には自分が桜前線と一緒に北上している気分になるし、夏には全く知らないお客さんが何も知らないわたしに「甲子園、どっちが勝った?」と聞いてくる。秋にはホームに立っている少し年上のお洒落なお姉さんの服装を盗み見て流行りを勉強して、冬は暗闇の中に突然現れるイルミネーションで飾られた民家に心躍らせる。

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お客さんにも共有したくて、何度も危なく職権を濫用して車内放送をするところだった。「右手をご覧ください!でっかい虹です!!」とか。大きく代わり映えのしない毎日でも、顔をあげただけでちょっとずつ日常は変化していく。スマホを見ることができないこの仕事を始めて気づくことができた。自分が考えていることも日によって少しずつ違う。この変化を感じることが楽しいのだ。

わたしのアハ体験みたいな毎日はこの先も、線路がある限り、顔を上げる限り、続いていくのだろう。