無心でザクザク切ったりんごを、皮ごと小鍋にぎゅうぎゅう詰め込む。少しの水と砂糖を入れて火にかけると、窓から注ぐ月明かりに照らされたりんご達は、小さくコトコト揺れ始めた。
学生時代は優秀だったのに、社会人になり私の自尊心は崩れていった
学生時代、私は優秀なほうだったと思う。テストはいつも満点近くとっていたし、部活動でも部長をやって、内申点も良いから推薦で高校受験を突破した。大学時代もレポートの評価は高かったし、ボランティア活動やアルバイトもうまくこなして、親戚みんなが喜ぶような会社に就職できて、ずっと自分は優秀な人間だと思っていた。
だから、会社で全く理解できない研修資料、赤文字だらけの企画書、上司の「入社試験の点数は一番良かったのにね」という言葉と呆れ顔の溜息。そのどれもが私に「お前は欠陥人間だ」という事実を突きつけているようで、私のちっぽけな自尊心は耐え難い痛みを伴ってあっけなく崩れ落ちた。
初めて田舎を離れて、初めて一人暮らしをして、初めて暗く冷たい部屋に帰る生活を送る私には、初めての挫折を乗り越える術も力もなかった。へとへとに疲れきっているのに、早く休みたいのに、「お前は欠陥人間だ」の声がうるさくて全く眠れない。
明日も朝早くから仕事があるから、夜更かしをしてる場合じゃない。焦れば焦るほど全身がそわそわして落ち着かなくて、なんだかこの場から逃げ出したい気がしてベッドを抜け出した。
残業して翌日も早いから寝なきゃいけないのに、私はコンポートを作った
とりあえず水を飲もうと冷蔵庫を開けると、りんごが2個転がっていた。帰り道に半額シールの貼られた惣菜を買おうと寄ったスーパーで、衝動買いしたりんご達。少し傷んでいるからと値引きされたりんご達。「君も私と同じ欠陥側なのね」。
こんな夜中にりんごのコンポートを作り始めるなんて、馬鹿げている。今日は残業して疲れきっているし、明日も朝早くから仕事があるし、自炊する気力も体力もなくてスーパーの惣菜に頼りきった生活をしている私が、何故こんなことを?
自分でも自分の行動の意味が分からなかったけど、少しずつ煮詰まっていく小鍋の様子を眺めていると、さっきまで頭の中を埋め尽くしていた騒音も全身を駆け巡っていた衝動もすっかり静まり、不思議と心が落ち着いてきた。
そのままだと傷みが目立っていた皮が、しっとりふやけて艶やかに輝いている。行儀悪いと思いつつ、鍋から一切れつまんで口に放り込む。
熱くて、甘くて、優しいコンポートだ。冷蔵庫で冷やしたら、明日はもっと味が染みて美味しくなるだろう。
確かホットケーキミックスがあったはず。コーヒーも淹れて、少し豪華な朝ごはんにしようかな。心の温度が、ちょっと上がってきた。
見切り品のりんごをコンポートにしただけなのに、私の心は励まされた
君は欠陥側なんかじゃなかったね。こんなに素敵なコンポートになったんだもの。
眠れぬ夜に、ただ見切り品のりんごをコンポートにしただけ。それだけなのに、その事実は私を励ますのには充分だった。
私は、欠陥人間なんかじゃない。切ったり、煮たり、冷やしたり、もっと自分を鍛錬しよう。まだまだ人生はこれからだ。どんな自分になれるのか、どんな明日を迎えられるか。
過去にすがりつかなくていい。今に絶望してもいい。忘れちゃいけないのは、私の未来には希望があるということ。たった一晩で、りんごは美味しいコンポートになるのだから。