食べる力は、生きる力。

今年の8月から老人ホームの厨房で働く今、まさにこの言葉を体現する出来事を日々経験している。

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私の主な仕事は、調理師さんが調理した大量の料理を、その人の食形態に合わせて加工して一皿ずつ盛り付けることだ。

たとえばその日の献立がサバの塩焼きだったとする。サバは骨抜きの切り身なので、通常通り食べられる人はそのままの形で盛り付ければよい(形)。

しかし、切り身を丸ごと一枚食べるのが難しい人もいる。そのような人には、切り身を一口サイズに切ってから盛り付ける(一口)。

それでも大きくて食べれない人はフードプロセッサーでサバを刻み(刻み)、さらにそれを飲み込むのが難しい人には、出汁と一緒にミキサーに入れてとろみを付ける(ペースト)。

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老人ホームの厨房ではこのように、同じ料理をその人が食べられるように加工して提供する。「刻み」くらいまでは、かろうじて何の料理だかわかるけれど、「ペースト」は色つきのドロドロ液体。食べ物の原型を留めておらず、出汁と一緒に加工するため味も薄い。献立を見ないと料理名を当てるのは困難だ。

食形態は、入居者さんの健康状態によって日々変化していく。

たとえば、今まで「刻み」だった人が「一口」になったとき。「きっと噛む力が戻ったんだろうな」とか、「体調が良くなったのかもしれない」と考え、嬉しい気持ちになる。

一方、「刻み」から「ペースト」に変わったとき。調理師さんによると、一度「ペースト」になった入居者さんはもう元には戻らないという。食べる力が弱まり、もう飲み込むことしかできなくなったのかと思うと、いのちのタイムリミットを感じずにはいられない。

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ある日、ずっと食形態が「一口」だった入居者さんが「刻み」に変わったことがあった。「そうか、この人も刻みになったのか」と思っていた数日後、気づいたらその人は「刻み」から「ペースト」になっていたのだ。

こんな短期間で食形態が変わるのは、丸3ヶ月勤めて初めての経験だった。

調理師さんいわく、「容態が急変して、もう数日持つかわからない」とのこと。そして残念ながらその言葉通り、翌週にその入居者さんは亡くなった。
 

私はほとんどの時間を厨房内で過ごすので、実際に入居者さんと直接話す機会はほとんどない。しかし食形態と名前は毎日見るため、顔はわからずとも見慣れた名前に愛着はある。「Aさんは毎朝牛乳を飲む」「Bさんはエビアレルギー」「Cさんは小さいスプーンと茶碗を必ず用意する」。食形態と名前と細やかな情報から、勝手にその人の状態を想像するのだ。

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亡くなった入居者さんの情報は「『一口』でご飯を30g増量」。たくさん食べる人、そう思っていたのに。あるとき老人ホームの職員さんに食事を出すとき、テーブルの上に置いてあるご遺族からのお菓子と「故〇〇がお世話になりました」の添え書きを見つけた。

顔も知らない入居者さんの訃報に、胸が痛んだ。

生きていく上で必要不可欠な「食」を担うこの仕事は、とても責任がある。その人にとっての唯一の食事がこの老人ホーム内のもので、しかもその食事が「人生で最後の食事」になるかもしれないから。

たとえ食べる力が弱まっても、最後までおいしく食事をしてもらいたい。それがきっと、「あともう一踏ん張り」生きる糧になると信じて。