朝の芋は、私の今日を明るくする。
家族みんなが朝ごはんを食べ終わってからが、私のお楽しみ時間の始まり。少し皮がくたびれてやわらかくなった焼きいもを、保管場所からそっと取り出して、輪切りにカットする。
薄くバターを引いたフライパンに並べて、カチッと火をつけると、まもなくバターの芳醇な香りがふわりと広がる。ああ、待ちきれない。
その間に隣のコンロでやかんの湯を沸かし、コーヒーのスタンバイをする。芋にバターが染みこみ、少し焦げ目がついてきたらひっくり返す。反対側も同様に。こんがり焼けた狐色にバターの照りもプラスされて、なんとも唾が止まらない。頃合いを見計らって火を止める。

お気に入りの小皿に芋を盛り付けて、仕上げにひとつまみの塩をパラパラ。沸いたお湯でコーヒーを淹れ、我が家の畑で採れたりんごを添えたら、準備完了。思わず、顔がほころぶ。

コーヒーと芋、時々りんご。穏やかな幸せを感じる朝の時間

「いい~時間じゃないか」
このタイミングで決まって母が、嬉しそうに声をかけてくる。私が嬉しそうだと、自分も嬉しいらしい。
「うん。いい時間だね」
そう答えながら私は、ミニフォークを芋に刺して、口に運ぶ。

みっちりと凝縮された芋は、一口食べればその歯形がつくほどやわらかい。ふちの焦げ目はカリッと、中身はねっとり濃厚。さらに、甘さを引き立てる塩のしょっぱさも相まって、病みつきになる。体を揺らして、美味しい~! と叫んでしまいそうだ。
舌に残る甘さとコーヒーの相性も抜群。交互に味わい、時折りんごを挟むというループが止まらない。いつまでも食べられるような気がしてくるし、事実、毎日食べていても全く飽きない。

最近リフォームが終わった自宅のキッチンは、ログハウス風の内装になっている。
天井から橙色の明かりに照らされて、木の温もりを感じながら、さつま芋を食べる朝時間は、穏やかな幸せを感じるひと時。
長野県の田舎で、窓から見えるのは、田んぼや山ばかりだけれど。それでも必ずカーテンを開けて、朝の景色を見ながら芋を楽しむのが、私のこだわりのひとつでもある。

母はりんごを溺愛している。モーニングルーティンは母譲り

「今日の芋はどう?」
「上々」

私が芋時間を過ごしている時、母は後ろのキッチンで晩ご飯の下準備や、家族のお弁当の用意をしている。
私がさつま芋に心を奪われているように、母はりんごを溺愛している。何せ懸賞に出すペンネームが「ラブりんご」というくらいだから。今も、自分の昼食用にとりんごを切りながら、時折自らの口にも放り込んでいる。
母にとっては、りんごを食べながらコーヒー片手に新聞を読む早朝の時間が、一番の幸せだというから、私のさつま芋やモーニングルーティンへのこだわりは、母譲りかもしれない。

時には、母が育てたさつま芋で大学芋を作ってもらったり、圧力鍋でやわらかく芋を蒸してもらうこともある。今も一部の芋が冷凍庫の奥に眠っているけれど。おかげで私は年中、芋を食べることができる。もちろん、母もりんごを野菜室に常備している。

「あ、もうこんな時間!!」 

りんごを最大限に詰め込んだタッパーと「追い芋」。今日もいい一日を

母は、小さくカットしたりんごを最大限に詰めこんだタッパーを持って、二階へと駆け上がっていく。私は芋を味わった後、まだ少しコーヒーが残っていたので、もう少し芋を食べることにした。これを通称「追い芋」と言う。今度はそのままバターをつけて頂くとしよう。これだから芋はやめられない。

ドタドタドタ、と階段を急いで降りてくる足音が聞こえる。今日もきっと時間ぎりぎりなんだろうな。私は芋を口に運ぶ手を一旦止めて、母が来るのを待つ。

母は家を出る時に、必ずこう言う。
「じゃあ行ってくるね! 今日もいい一日をね!」

だから決まって私も答える。
「お母さんもね!」

そして再び、芋を食べる。母と芋娘の一日が始まる。