「写真からメッセージが伝わってくるよ」。
私が海の中で撮った写真を見て、ダイビングショップのインストラクターさんは言った。そこには、先ほど海に潜って出会った、海の生物が写っていた。写真を撮ることは得意ではなかったが、誰かに海や生き物の美しさを共有したいという思いはあった。水中カメラを持って、もうすぐ1年が経つ。そして、スキューバダイビングを始めて、約3年が経った。
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私の写真は、素人が波に煽られながら、必死に近くの岩を掴み、それでもカメラに納めようと必死にシャッターを押して撮られた写真たちである。全てがそんな写真というわけではないが、大抵は流れと戦って得た戦利品である。だが、撮るだけではつまらない。カメラに納めるのだから、他の人が見ないアングルを求めて写真を撮りたい、そんな思いでシャッターを押し続けた。
「いいね、伝えたい思いが伝わってくるよ。」
ダイビングショップのインストラクターさんは、普段カメラマンとして活躍している。ライトの当て方で写真はどう印象が変わるか、写真を見た人に自分が一番感動した部分を伝えられるように、生物、物体において、一つピンポイントでここ、という場所を決めてシャッターを押せ、そんな指導を海に潜る前にしてくれた。
だが、そんな指導は海に入った瞬間忘れてしまう。とにかく、写真を撮りたい。見た、見つけた、ここにいた、という証拠をカメラで残し、海の中の美しさを知らない人に伝えたい、という思いだけがあった。そんな素人のピントの合わない写真たちが、インストラクターさんは気に入ってくれた。カメラは楽しい。それは海も陸も変わらない。いいな、と思った瞬間シャッターを切る。現像された物体は、私が見た世界になる。
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スキューバダイビングを始めた頃は、中性浮力や呼吸の仕方、フィンキックの仕方など、覚えることがたくさんで、カメラどころではなかった。頭の中では、(この広い海で迷子になったらどうしよう。)(酸素が無くなったらどうしよう。)と心配事ばかり考えていた。しかし、先輩ダイバーがいつも大きなカメラを大事に抱えて海に潜り、真剣な表情で生物を撮る姿を見て、ずっと撮ってみたい、という憧れがあった。
「海の中にはピカチュウウミウシという、ピカチュウみたいなウミウシがいるよ。」
「拡大したら分かるんだけど、ここに小さな目が見えるね。」
まだ見た事のない生物の話、先ほどのダイビングで、実際虫眼鏡でのぞき込んで見てきた生物の、カメラの拡大機能を使って見えた新たな発見。カメラ、という存在にどんどん憧れていった。水中カメラは高価なものだったため、水中での呼吸が落ち着き、空気消費量が安定したら持たせてもらえる、という条件だった。
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その日は突然やって来たと思う。レストランに呼び出され、機能の紹介や充電方法を教わり、カメラを持って海に入れるように、様々な指導を行ってくれた。
生き物との距離感は難しい。ウミウシのような小さな生物はアップできる限界までレンズを絞っても、見せたいところまで拡大することはできず、もどかしさを感じる。魚もそうだ。他のダイバーのカメラの光や太陽など条件が良くないと、美しさが伝わらない写真が生まれてしまう。枠の中にどう生き物を納めようか、試行錯誤の戦いである。
水中カメラと出会い、インストラクターさんは何十年もカメラと生きてきたプロのカメラマンだったこともあり、私と写真との距離はぐっと近くなった。しかし、まだ被写体との距離は遠いままだ。自分が今持っているカメラとの距離も、本当は遠いのかもしれない。
撮りたい大きさのために、もっと性能の良いカメラを得るべきではないか、と考えてしまうが、本当はカメラの調節機能を少しずつ変えていけば、望み通りの写真が生まれるのかもしれない。海は美しい。そして、多くの生き物が悠々と暮らしている。シャッターを切った瞬間に思い出として残る。今のカメラを大切にし、海の美しさを伝えるために、私はこれからも写真を撮り続ける。