「え?この人も結婚したん?」

こちらが知りに行こうとしなくても、SNSは勝手にそんな情報を突発的に与えてくる。知らぬ間にまた一人、また一人と知人が人生の次のステージへと歩みを進めている。

一般的に結婚適齢期と呼ばれる年齢になってしまった私は、友人のインスタの「結婚報告投稿」を目にしてそっとアプリを閉じるどころか、スマホをベッドの上に放り投げる。

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色々とあって大学入学が人よりも遅れてしまった私は、この前社会人になったばかり。とりあえず今の会社で次のステップに上がるまでは仕事にコミットすると決めて入社した。

人と比べない、自分のペースで私の人生を生きるんだ!…そう決めたはずなのに思わぬところで、思わぬ形で人と比べることを強制され(そういうわけではないことは観念的には理解出来ている)自己卑下に走る。

本来私にとって他者の幸せは、それでご飯が食べられるほど好物である。
もちろんそういう投稿を見て幸せな気持ちになるし、心の底からおめでとうと伝えたくなる。

妬みの気持ちではない、一度レールから外れてしまったことへの若干の後悔と時間が巻き戻せないことへの不甲斐なさに苛まれるのだ。

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私によって放り投げられたスマホはその姿を黒くし、ただの板と化していた。私を含めて我々現代人は、そもそもこの「無機質な電子板」に翻弄されすぎている。

調べてみたところ20代の平均のスクリーンタイムは1日あたり約5時間。そして私も同じくらいの時間触っている。

ちなみに使用頻度の高いアプリを見たところ、上から順にLINE、インスタ、Xとなっていた…きっと潜在的に「誰かと繋がりたい」と感じているのだろう。

実際常に誰かとメッセージのやり取りをしているし、もしかしたら内容ではなくやり取りしていること自体に安心感を覚えているのかもしれない。

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でもその副産物によって、知らなくてもいいことを知らされたり、それによって自己卑下してしまったりするのは誰も願っていないことだ。

一概には言えないが、少なくとも私自身は「スマホ依存=他者依存」だと思う。そしてそれはスマホのスクリーンタイムを設定することで解消されることではない。

他者と比べることなく、自分は自分だと心底言い聞かせること、自分の人生を否定しないこと。そんなことが大切なのだろう。

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やめていた日記をまたつけ始めよう。スマホにではなく年の初めに自分で選んで買った手帳に。そしてそこには自分が出来るようになったこと、一日の中で嬉しかったことを書くようにしよう。

クラシルやクックパッドを見ずに、自分の感覚に頼って自分の作りたい料理を作る時間を増やそう。

ホットコーヒーを飲みながらベランダから夜景を見てみよう。寒いなんて言わずに。
そういうことを少しずつ積み重ねていって自分で自分のご機嫌をとっていこう。そうすれば他人の幸せを心から喜べる本来の自分を取り戻すことができるだろうし、自分を否定することも少なくなるだろう。

「スマホを手放す」 これは私にとって、「自分を見つめる時間を増やし、自己肯定してあげること」にしていきたい。