年末の12月中旬になると、その一年間で撮った中で厳選した写真を使った紙のアルバムを作成することが、ここ数年間の恒例行事になっている。
昔は、私くらい写真嫌いな子供もそうそういないと思えるくらい、写真を撮られることが嫌いだった。理由は自分の写真写りの悪さに加えて、どんな顔をして写真に写れば良いかわからなかったのもある。周囲を斜に構えて見ていて、作り笑いもできない。撮影のため無理くり捻り出した笑顔も、自分でとても気持ち悪く思える。それに、家族のことも大嫌いで、友達も多くなかった私にとって、写真を撮って残す意義があまり見出せなかったのだ。
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そんな私が打って変わって自分の写真と向き合い、積極的に残そうと動くようになったきっかけは、夫(当時彼氏)と交際を始め一年が経とうとしていた頃(ちょうど年末である)、「この一年間ありがとう」の意味を込めたちょっとした贈り物をしたいと考えたことだ。遠距離だったから、中間地点の馴染みの薄い土地で会うことが多く、そもそも毎回会うこと自体が特別な時間だったから、写真はそれなりに撮っていた。物欲がない彼にとって、下手な「モノ」より「思い出」を可視化できるアルバムはぴったりな贈り物に思えた。
早速、オンラインで写真のレイアウトなどを自分で編集してアルバムを発注できるサービスを選定した。あまり大袈裟なものにはしたくなかったから、手のひらサイズのミニアルバムにした。載せられる写真数は、実際に撮った分に対して、そんなに多くない。レイアウトとの兼ね合いを考えながら、数々の写真の中から厳選するのは予想以上に骨の折れる作業だったが、その分完成した時の喜びもひとしおだった。
結果として、私が期待していた以上に彼はアルバムに感激してくれ、「これからも毎年作ろう」と提案してくれた。
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それから何冊かのミニアルバムが棚に加わり、2023年は夫婦になって初めてのアルバムを作った。その過程で過去のアルバムを見返してみると、たった2、3年前の思い出なのに、「そういえば、この時期にここに行って、こんなことをしたんだっけ」と、まるで遠い過去のように、懐かしい記憶として蘇ることに驚いた。小さな幸せは、どんどん過ぎ行く日常に簡単に埋もれていってしまうのだと改めて気付かされた。
そして、一見何気ない写真でも、その場面は撮った当時の私には簡単に得られて、今ここにいる私には手の届かないものなのだと思うと、当たり前なことなのにとても不思議なことのように思えた。写真を撮るという行為は、その時は自覚がなくても、未来の自分から感謝されることなのかもしれない。
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気軽に大量に写真が撮れるこの現代で、敢えて厳選された写真で構成された紙のアルバムを作成することも、1つのポイントだと考えている。年末に一年の振り返りをする時間を半ば強制的に確保することで、今年も良い一年を過ごせたと、具体的な思い出と共に振り返ることができる。「とりあえず撮った」スマホのフォルダの中の大量の写真は、思い出に浸る以前に、そこに辿り着き、ざっと眺めるだけでお腹いっぱいになりがちだが、このアルバムではそのような心配はなく、気軽に思い出に帰ってくることができる。
また、厳選した写真の中でも、ページ数の都合で泣く泣く不採用になったものがいくつもある。その無念さを感じるたびに、遠くまで出かけた旅行の写真も、自宅での日常的な写真も同じくらい、どれも切り捨てがたい、かけがえのない思い出なのだと気付かされる。
よく、「モノは買った瞬間がピーク。あとは時間とともに劣化していく。一方思い出は、時間とともに美しいものになる」と言われるが、アルバムを作るようになったことで、それを強く実感するようになった。
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今も、写真に写る自分の顔は綺麗だとか可愛いだとか、自分ではとても思えたものではない。そうだとしても、今はもう自分の写真写りはあまり気にならないというのが正直なところかもしれない。どんな顔でも、それがその時の自分の素直な表情である限り、後々良い思い出にしかならないことを知ったからだ。
写真は、未来の私への贈り物。それを教えてくれたのは、一冊のミニアルバムがきっかけだった。