迷ったらとりあえずやってみる。私の人生の指針であり、これからの私を導く指針だ。

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大学に進学するまでは、良くも悪くも敷かれたレールを走っていただけだった。あんまりしたいことはないけれど、みんなが行くからとりあえず大学に行かなきゃ。そこに自分の意思はなく、周囲の空気に流されるままに進学した。

進学すること自体が目的だった私は、次の目標はとりあえず卒業しなきゃ、だった。卒業するためのスケジュールをこなす毎日、味もコシもない毎日。自分の幸せは自分で掴み取らなければ始まらないのにも関わらず、当時彼氏に首っ丈だった私は、自身の人生さえも他人に委ねっぱなしだった。

就職活動を経て、自分の行動で人生の豊かさを掴み取ることを知った。自分の人生のレールは自分で敷いていくのだと知った頃、世界がコロナで覆われた。

味もコシもない当たり前の毎日が、当たり前ではなくなり私は思っている以上に自由だったのだと思い知らされた。制限を強いられた環境で私には何もできないという認識が植え付けられた結果やりたいと頭の片隅で思っていることすらも、どうせできないと挑戦することから逃げた。

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そんな中、そう思うことすらも贅沢だと感じさせられた出来事がある。小学校の頃に好きだった人の死だった。PRC検査をして久々に帰った実家で母から聞かされた訃報は、頭を鈍器で殴られたかと思うほどの衝撃だった。

勉強のできた彼とはよく成績を競い合い、好敵手であり尊敬も含む好きな人だった。いつしかその気持ちは薄れていったものの、時々話す中ではあり、大学生になって距離が離れてもSNS上で時々近況を報告し合う仲だった。

コロナではないにしろ、コロナの拡大によるリモート業務の弊害により発見が遅れたことが原因だと聞かされ返す言葉も見つからなかった。
「誕生日おめでとう〜元気にしてる?」
「今気づいた!せんきゅ〜。元気にしてるよ」
彼のSNSにはそんな他愛もない言葉が今でも消されずに残っている。

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ニュースで事故や事件を見ても私には関係ないと思っていた。少しずつ周囲の人間がコロナに侵された時でさえも、自分は大丈夫だと思っていた。私は身近な人の、それも自分と年齢に差がない人の死をもって初めて、自分が今こうして生きていることが当たり前じゃないということを認識した。

お前が無駄に過ごした今日は、昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった明日なんだ。そう綴った言葉を何度も聞いたことがあったが、生まれて初めてその言葉の重みを知った。

こうして悩んでる時間さえ贅沢でありがたいことなのかもしれないな。物事を決めたり、何かに挑戦することを躊躇う瞬間、私は大概彼のことを思い出す。彼のことを聞かされて以降、出来ることはとりあえずやってみようそう思ってたくさんのことをやってみた。

もちろん全部が上手くいったわけではなく挫折したこともあれば外的要因で頓挫したこともあった。それでも、やってみた結果、こうしてエッセイを書くという趣味を見つけ、自分の人生について書き記すきっかけを見つけることができた。

失敗したものも全てが無に帰ったわけではなく、次に繋がるスキルや周囲の評価に繋がったものもあった。

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毎日全力で走ることができるわけではない。それでも、彼のように今日に辿り着くことが叶わなかった人がいるのだと思うと、やりたいことや挑戦したいことがあって、それが出来るのであれば頑張ってみたいなと重い腰を上げてまた走り続けるのが生きている人間の使命だと思う。

生きている限り私の可能性は無限大であり何にでもなれるのだ。迷ってる暇なんかない。明日に向かって、とりあえずやってみよう。そう私はまた一歩明日へと足を進めるのだ。