よく服を購入するファッションブランドの1つとしては、GUがある。紺色地に黄色でGUと書かれたロゴでお馴染みの、ファストファッションブランドだ。
GUへ行く理由は、もちろんそこで売られている服のデザインがかわいいから、ということもあるのだが、一番の理由はサイズへの安心感である。
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私は身長が平均よりいくらか低い。それに加えて痩せ体形なので、体にフィットする服を探すのが面倒なのだ。ボトムスであれば、MサイズかLサイズしか取り揃えていないブランドが多く、丈の合うものは少ない。フリーサイズの商品であっても、私の身体には大きすぎる。しかし、GUであれば上は3XL、下はXSサイズまである商品もある。(もちろんのこと、私はXSサイズを購入する。)XSサイズが用意されている、ということが理由で、GUへ指名買いでズボンを購入しに行くこともある。
サイズ展開に加えて、他に私がGUを選ぶ理由としては、やはり安価なことがある。イベント事で一回しか着用しないであろうような色の服が必要になった時、ワンシーズンではきふるすつもりの服を購入する時は、商品が安いことはとても魅力だ。普段着も、靴やベルトやカバンといった小物類も、肌着類も、なんでも低価格で売っているのがGUだ。
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そんなわけで、よく私はGUにお世話になる。
そのGUで、私はマタニティウェアを買ったことがある。妊娠のしたことないはないので、私の分ではない。
私の母のためである。母のためにマタニティウェアを買うことになるとは、思ってもいなかった。
どうしてマタニティではない母にマタニティウェアを買ったのかというと、母の全身がむくんで、普通の服を脱ぎ着するのが困難になったためだ。
母は癌を患った。そして、体が倍になった。癌に侵された母の体は、摂った水分をうまく排出することができなくなってしまったのだ。そのため、体に水がたまり、健康だった時と比べて体重にも見た目にも2倍になった。
癌になることで、妊婦さん並みの腹囲にまで体がむくむということを目の当たりにして、私は驚いた。ただし、筋肉はみるみるうちに失われた。それを上回って、母の体は水を蓄えていった。
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マタニティウェアを買ったのは、母が退院し、自宅療養を開始してからである。病院から戻ってきた母の介護のため、初めて我が家にヘルパーさんが来てくれた時、ヘルパーさんがマタニティウェアを勧めてくれた。
初めての訪問介護の日に、ヘルパーさんはむくんでパンパンになった母を見て、私にこう言った。
「これじゃあ服を替えてあげるの大変だから、マタニティウェアを用意しようね。」
退院した母は、すでにベッドから起き上がることもできず、服の着脱は2人がかりで介助しなければ行うことができない状態だった。つまり、母の着替えといっても、実際に服を替える動作を行うのは私達家族だった。
ヘルパーさんの言葉を聞いた私は、その日のうちに自転車に乗って駅前の商業施設にマタニティウェアを買いに行った。自分に妊娠経験がないので、マタニティウェアをどこで買うか迷ったが、その時に頭に浮かんできたのがGUだ。様々な種類の服を扱っているGUならばマタニティウェアもきっとあるにちがいない。そう考えて行ってみたところ、やはり置いてあった。それも、同じ型の服でも2種類以上取り扱いがある。GUさまさまだ。
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私が選んだのは、かわいいクマ柄の入った薄紫色のもの。少しでもかわいらしい服で、ベッドの上でも気分よく母に過ごしてもらいたかった。
それまでは、母にはゴムがゆるゆるの男性用のパジャマを着てもらっていたが、マタニティウェアは母の介護をする私達にとってもうってつけだった。
そのマタニティウェアは、今はもうない。母と一緒に焼いてしまったからだ。
結局、最期の時まで母の体から水分が抜けることはなかった。母の体とお別れする時、母が着る服は、だから必然的にマタニティウェアとなった。
マタニティウェア、といえば身ごもった女性の着るものである。「生」を象徴するような服といってもよい。けれども、母の最期に必要だったマタニティウェアは、私にとっては「死」を連想させる服である。
もし、このようなイメージが更新されるとしたら、自分のお腹に新たな命が宿った時だろうか。来るか来ないかわからない、そんな日のことを想像しつつ、母が最期に着ていたマタニティウェアのことを思い出す。