「根拠のない不安は、根拠のないおまもりで」
私は昔から、「おまもり」という存在に助けられてきたと思う。その「おまもり」が何かはその時々で違う。受験生のときは、神社やお寺で買った「合格祈願守」だったり、幼児のときは、お気に入りのペンギンのぬいぐるみだったり。
大人になってからは、母にもらったアクセサリーを身に着けることで、自分が守られているような気がした。小さなピアス1つで、人は安心できるものなのだ。
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ある心理学の本で「移行対象」という言葉を知った。乳幼児が特別に愛着を持つもの、毛布やぬいぐるみのことをいうらしい。子どもはそれを、不安なときに抱きしめたり握りしめたりする。私は「おまもり」みたいだな、と感じた。大人だって不安なときは、ふわふわしたぬいぐるみや毛布を抱きしめたくなるものだ。ふわふわしたものはいつだって人の心をふわりと温める。
「おまもり」が私にとって効力をもつのは、母の影響だ。世の中にはそういう、根拠のないものを信じない人もたくさんいるだろう。お賽銭を入れることやお守りを買うことを「もったいない」と考える人がいるのもわかる。信じるか信じないかは自分次第。
かく言う私は、母の「神様は見てるよ」で育ってきたため、どうしても「神様は見てる」と心のどこかで思ってしまう。そして今年もお守りを買うのだ。
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つい先日、新たな「おまもり」を手に入れた。結婚指輪だ。最強のおまもりだ。指輪を作る際、店員さんがサイズを測ってくれるのだが、思った以上にきつめのサイズを提案されて驚いた。
ちょっとむくんだり太ったりしたら抜けなくなりそうなほどのジャストサイズ。店員さん曰く「これくらいが適切」らしいので、むくんで抜けなくなったらどうしようという不安を無視してそのサイズで作ってもらうことにした。
結婚指輪を「首輪で縛り付けられてる犬みたいだな」と考えた時期もあった。婚姻という大きな約束事が、当時の私には重荷だったのだ。でも今は全くそう思わない。指輪は縛り付けるものではなく、私をいつも守ってくれる「おまもり」になった。ジャストサイズの指輪は、簡単になくならないという安心感がある。おまもりをなくしてしまうくらいなら、抜けなくなる方がいい。
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信じるか信じないかはあなた次第、という前提で、私は「おまもり」を持つことをおすすめする。なんだっていい。みんなが見たらゴミのようなものでも。何の効力もなさそうなものでも。
なんならモノじゃなくてもいい。今流行りの「推し」。これは立派なおまもりだ。心の中に推しを飼うべし。小さな悩み事、何とも言えない不安、おまもり(推し)が解決してくれることもしばしばあるだろう。
根拠のないものを信じること、これもまたその人の強みとなる。気の持ちようで、その時の気分どころか、人生だって変わるのだ。恥じることは何もない。大人だってぬいぐるみ、毛布、きれいな石、持ち歩こうではないか。