「ついにやってしまった…」その瞬間、全身から冷汗がふき出した。現代社会を生きる私たちにとって必要不可欠な “アレ”を落としてしまったのである。私は、地面に伏して何とも無残な姿になってしまった“アレ”を急いで拾い上げた。

一縷の望みをかけて電源ボタンや音量ボタンをいじってみたが、必死な私をあざ笑うかのように、“アレ”からの応答は砂嵐だけであった。すでにお気づきの方も多いと思うが、私が落としてしまったのは、“スマホ”だ。

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私は、常日頃から物を落としたり、無くしてしまったりすることが多い。そのため、母や友人からスマホにケースや液晶の保護フィルムを付けることを薦められていたが、私は一向に聞く耳を持たなかった。あの日ほど、過去にタイムリープし、カバーや保護フィルムを絶対に買ってくれと懇願しようなどという現実離れした決意をした日は、20年間の人生で1度もなかったように思う。

くだらない決意を胸に私は急いでスマホショップに駆け込んだ。「このスマホはもう、、手の施しようがありません。」そこで告げられたのは何とも非常な宣告だった。私はまるで世紀末を迎えたような気分になったが、幸いにも保障サービスに加入していたため、新しいものと交換してもらえることとなった。新しいスマホが届くのは最短で2日。確実に朝の占いは12位だったなと絶望し、1日の平均スクリーンタイムが約11時間の私の2日間のスマホ断食生活は幕を開けた。

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1日目は、大学の授業があったため、大学へ向かった。大学2年生の意地を見せ、電車の時刻や乗り換えは難なくクリアしたのだが、友人と連絡が取れないことに気が付いた。やはり、2日間を通して最も不便だと感じたのは、連絡が取れなくなることだ。私は、成すすべなく大学へ到着し、友人に事の顛末を説明すると、私のスマホのスクリーンタイムが11時間であり、なおかつそのほとんどをスマホゲームに費やしているということ知っている為、いい機会だと爆笑しつつ励ましてくれた。

帰宅中、電車の中で何もやることがなく、同じ車両に乗っている人々を観察することにしたのだが、混雑しているのにも関わらずほとんどの乗客がスマホを眺めていた。まるでお互いを認識すらしていないようで、言葉では形容しがたい不気味な気分に襲われた。

普段の私も客観的に見ればその光景を構成する1人であることは確かであるのに。そんな疑問を抱きながら、私のスマホ断食生活1日目は終了したのだった。

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慣れとは不思議なもので2日目は1日目に比べてストレスを感じず、これはこれでいいかと思えるほどにまでにスマホ断食生活に適応していた。大学までの道のりは、買ったはいいが1度も読んでいなかった本を読み、課題も早めにこなし、家事を手伝い、スマホに費やしていた時間を有効活用。

気分もよくなり、ブルーライトを浴びていないからなのか、睡眠の質も向上したように感じられた。1日目の苛立ちが嘘のように、すぐに眠りにつき早くも私のスマホ断食生活は幕を下ろしたのである。

翌日、新しいスマホが届き、重要なデータも無事に復旧することができた。平穏な生活を取り戻した私は、1日目に感じたあの疑問について頭を悩ませていた。なぜ、不気味に感じたのか。それは、きっと、小さな液晶に依存することの恐怖、或いは、コミュニケーションの気配が感じられなかったからなのではないか。勿論、電車の中なのでコミュニケーションを進んでとる必要がないことは分かっているのだが、「気配」が見えなかったのだ。ノンバーバルコミュニケーションの重要性が垣間見えた2日間であった。

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この2日間を通して、現在の生活が大幅に変わったかと聞かれれば、正直なにも変わっていないように感じるが、自身の姿を客観視でき、普段どれだけスマホにかける時間が多いのかを顧みる良い機会であった。ちなみに、現在のスクリーンタイムは平均10時間である。今朝の占いは12位だったので、明日にはタイムリープの方法を真剣にパソコンで調べていることだろう。もし、そうなっていたとしても、案外、悪くないかもしれない。