普段は仕事柄、私は地方にいるが、たまに東京に戻った時、前職時代の親友と会う。
その彼女と渋谷や表参道で、平日夜、お洒落なお店でディナーしている時。
いつも、彼女は身支度に時間をかける人なので、待ち合わせより10分くらい遅れて店に入ってくる。一方で、久しぶりに東京に戻り、久しぶりに親友の彼女と会えるのを楽しみにしている私は、いつも待ち合わせより10分早く来て、先に席に座って1人でメニューを眺めながら待っている。
その間も、彼女は、「いま会社でた!」や「あと5分くらいで着きそう」など、ここまで来るのに途中経過をLINEしてくる。店内に2人がそろうまでに毎回そんな数十分があるのだが、そんなやりとりさえも、彼女は自由気ままだけどマメな性格なんだな……とつくづく思わせる、そんな愛嬌がある。
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ようやく、待ち合わせ時間の15分遅れで彼女が着席すると、2人でメニューを眺めながら注文タイムが始まる。お互い自由人でのんびりが好きだが、相手に気を遣うのは共通なので、はじめは「どうする?」「何食べたい?」「好きなの選んでいいよ」など譲り合っている。
「私これ」と彼女がいうと、私も「私これで」といって、注文が決まっていく。ただ、前菜だけはシェアスタイルなので、いつもなかなか決められず、店員さんに今日のおすすめを聞いて注文するのが私たちのスタイルだ。
都会の一等地のダーク照明のムーディーなレストランで食事が来るのを待っている間、2人の間には「相変わらず可愛い」「元気だった?」という、いかにも新卒時代を思い出すような女子っぽい緩やかな生存確認とプチ褒め時間が流れている。
そう、私たちは新卒時代もこんな感じだった。同じ営業部署でKPIに疲弊しながら、2人でランチをし、お互いささやかな応援と日頃の小さな認め合いをしあって、なんとか切り抜けていた。
数字にあんなにドライで、ある種肉食系の筋肉質な社風の中、私たちは仕事の合間を縫って2人で会い、お互いの純粋な心や小さな幸せ、小さな悩み事を共有しながら、生きしのいでいた。あれから、私は転職したが、彼女は東京で同様の仕事を続けているので、私はいつも彼女に会うたび、「きっと彼女は疲れている」と心に置いて接するようにしている。
だから、お互い仕事環境や住む場所、人生のライフステージが変わっても、当時のような会話や関係性が続いているのだ。
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そんなこんなで、お待ちかねの料理が運ばれてくると、私だけスマホを取り出し写真を撮る。なぜなら、料理がおしゃれで都会的なことに、ちょっと感動するからだ。それだけ撮って、その後はスマホを鞄の中にしまう。なぜなら、彼女は見た目が美しいのに写真に入るのがあまり好きでないからだ。
普段は私は地方にいて、彼女とはなかなか会えない。ただ彼女との東京での何気ない会話や相手の食事中の小さな気遣いは、全てが新卒時代のように眩しく、なぜか癒され、彼女も頑張ってるから私もこちらで頑張ろうと思えるような、前向きなエネルギーをもらえることが多い。
そんな彼女との東京での短い時間が、私に安心や活力をくれる。距離や時間が離れても、こんな関係性がつづいていることに感謝したい。