1年で中退した母校。日常の延長に幸せがあると知らなかったあの頃
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6年の時を経て、1年の時に中途退学をした母校(と表現していいのか分からないが)の短大に、B型作業所に身を置くドーナツ販売員として足を踏み入れることになった。
ちょっとドキドキして販売車に乗ったけれど心配は杞憂に終わった。
久々の母校は、以前よりも先生と生徒の数が減っていて、活気が感じられずほんのり寂しい気分になった。
ドーナツは80個ほど持っていったうち約3割が売れた。
あの時は活気のあった食堂だった場所で販売をしながら、「なぜ辞めたくなったのか?」を聞くべく過去の自分の心にアクセスする。
実際にその場所に行ってみると、何を思って生きていたのかがよく分かる気がする。
「つまらなくて退屈だし、自分の人生どんどん堕ちていけばいいんだ」と投げやりになったあの時の気持ちを思い出した。
退学する旨を教授に相談した時、才能があるからもったいないと引き留めてくださった。
山田詠美や吉本ばななの本を何冊か貸してくれたこともあった。それでも精神疾患になり始めの頃で、辞めることしか頭になかったから休学を考えず衝動的に辞めるという選択をした。
特になんの変化もない日常、刺激のない授業を受けて、一緒にいて特に楽しくない人達と過ごす日々が私にはしんどく感じた。
学校とはそういうものなのだと受け入れて過ごすものだろうし、些細な日常の中に楽しみを見出す感性が育っていなかった自分の問題なのだろう。
小さい頃から県外に行くことに憧れはあったが、家族は女の子だから近くにいてほしいというし、少しだけ言葉が達者だから文学系の学科がある近くの女子短大に決めた。
それに臆病者だから1人でどっかに飛び出す勇気がなかった。
今だからこそ過去の自分に寄り添った答えが出せるが、きっとあの時の私には恋が必要だったんだ。それも同年代との恋。
退屈だと感じていたのは、10代の時に恋をまともにしたことがないのに短大でも女子のみで、恋の機会がなくて苦しかったためだろう。
短大に入学して1ヶ月ほどしてから、7つ年上の彼氏ができたものの、あの時の私は彼を背負うにはあまりにも幼すぎた。背伸びしてたからすぐにうまくいかなくなった。
恋や愛なんて要らない、同年代なんて子供だと強がって遠ざけていた頃の私は仮面をつけていたように思う。
今やっと顔の半分まで仮面をとりかけていて、本当の自分の顔が見えてきたような気がする。
平凡な日々を過ごすという、ごく普通のことをこなした延長線上に幸せがあるっていうのに、いつだってすぐに結果を求めたがって急いでいる。
バナナのように、シュガースポットで黒く甘く熟れた部分もあれば、まっさらでまだ何も知らないままの部分もたくさんある。
誰しもがそういう部分を持ち合わせながら生きているんだと思う。完熟なんてしないままでいい。
バナナは青すぎても、黒すぎてもいけない。いろんな部分があってこそ。
今日もお客さんのオーダーを聞いてドーナツを袋に入れる際に、焦って手からこぼれ落としそうになった。幸いなことに実際落としはしなかった。
せっかく作ったドーナツを、お客さんの胃に入るドーナツを落としそうになるなんて。
そんな綱渡りのような人生を送っているが、いつも危ういところを周りの人々に救われて生きている。
今は助けてもらうことばかりでも、いつかは自分が助ける側に回れるように若いうちにたくさん助けてもらっちゃおう。
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