この先の人生で私が離婚を経験するかどうかは、まだわからない。今の時点では何歳で結婚するかなどの人生設計も全く作っていないのもあって、離婚は身近ではない。けれど、人生のパートナーがいると、生きることの楽しさを発見できるのかもしれない。

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「まだ結婚しないの? 子供はどうするの?」なんて聞かれる年齢ではない今の私にとって、結婚について考えさせられることは少ないけれど、離婚という未来があることをわかりきっているのなら、私は「結婚しません」と断言すると思う。「しません」というよりも「結婚できません」のほうが正しい。好きな人と結婚したのだと堂々と幸せを振りまくような未来があるとして、そこからパートナーと二人三脚で新しい家庭を築く。それは簡単ではないけれど楽しいこともあって、苦しいこともあることはわかる。

もし結婚して十数年後に離婚したいなあと思っても、それはごく自然なことだと私は思う。たとえば十代のころから交際していた人と結婚というカタチでゴールインしたとして、二十代で子供を生み育てるとする。しかし長く一緒にいればいるほど、二人の間には隠し切れない温度差が感じられるようになったとき、離婚したいと思うようになるのかもしれない。そうなれば、きっぱり離婚して新しい未来に飛び立てばいいと思うし、それを不幸だと決めつけずに新しい家族のカタチを築くチャンスがやってきたことに喜べるようになった時、初めて離婚のイメージが明るい方向へと転換されることに期待できる。

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令和の若者が結婚に無関心で、それが日本の少子高齢化を進めてしまう原因になってしまうのだと、どこかの政治家が演説しているのを私は何度も耳にしたことがある。正直、それを聞いたとき、私はぞっとした。なぜなら、そんなにも若者に結婚をして子供を産みなさいと強要させる意味が全くわからないからだ。特に令和において、結婚して子育てをしながら働く女性が多くいる。いつの間にかキャリアの一つに「結婚・子育て」が当たり前のようにセットされていることに、疑問を抱くべきだと思う。そこで離婚がきれいごとではない現代社会の厳しさからは、女性を見捨てているのではないかとさえ感じてしまうのだ。結婚するときは「おめでとう」と祝福するはずなのに、「私、離婚したいのです」「離婚しました」と言い出せない世の中のままでは、日本は少子高齢化どころか、結婚は贅沢すぎて気が重くなるものだと若者に認識される一方なのだ。

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さらに結婚を考える前に、恋愛することにも身の重さを感じてしまう社会になってはいけないと私は思う。今、小さい子供たちが高校生や大学生になる頃には、誰かを好きになったら必ず結婚しなきゃいけないし、絶対に別れずに一生を共にすること、そして、国の少子高齢化に歯止めを打つために子どもを三人以上生みなさいなんていう制度が日本に存在していたとすれば、もうこの世界は壊れてしまったと絶望するしかない。離婚との距離感を考えていると、必ず結婚という人生最大のイベントについて考えさせられるし、それが現実味を帯びてくる年齢にたどり着いてしまったとき、それが悪夢だと思わせられる国に自分は住みたくない。

最近、十代で結婚して子育てをすることに対して「素晴らしい」と称賛の声があがっていることをよくSNSで目にすることが増えた。インフルエンサーとして活躍する十代、二十代の若い女の子が、結婚を経験して幸せだと語る姿には嘘がないと感じられる。そんな風に、いつか私自身も結婚は幸せそのものなのだと語る日が来た時に、もう一度離婚について考えてみたい。離婚することは「おめでとう」と祝福すべき新しい幸せなのだと理解される社会になってほしいと願うばかりだ。