それでも夢を見ていたかった。
役者を目指したのは、思春期特有の自惚れがあったからだ。
人前で何かを表現することが好きで演劇部に入部した。

目立ちたがりの性分は演劇で大いに発揮され、在籍していた6年間私は全ての公演に台詞のあるキャストとして参加した。
声がデカいだけで芝居はそれなりに上手く見える……、というのは暴論だが平均よりも聞き取りやすい声は舞台上で重宝された。
ふくよかな体躯も後押しして、同年代の女子の中で老け役として当時の私は一つのポジションを確立していた。
けっして主役を張ることは無かったけれど、むしろ主役を張らずとも舞台に立てていることが演技派の証のようで誇りに思ってすらいた。

「声優に向いてる」という言葉を真に受け、声優になるために東京進出

同時期、私はニコニコ動画をはじめとするヲタク文化にどっぷりとハマっていた。ニコニコ組曲やボカロ、アニソンを聴きあさる毎日。休日に同好の士と繰り出すカラオケでは、声マネ付きで得意げにそれらの曲を披露していた。
マイク無しでも響くアニメ声歌唱は概ね友人達に好評だった。
多分にお世辞が含まれていたであろう「声優とか向いてるんじゃない?」という言葉を真に受けて進路希望調査票に「声優」と書き込んだ。
当時17歳。アイドル声優ブームでμ'sなどアニメ派生のグループが人気を博していた。

東京進出を果たした私は、声優になるぞ!と養成所を探した。
当時憧れていた声優達がみな舞台出身だったこと、声優養成所はどこも学費が高く入学金すら用意出来なかったこと、様々な理由が重なって私は中堅どころの俳優養成所に入所した。
地方の部活で演技派を気取っていた私だったが、所詮はアマチュア。
プロの指導を受けたこともない私は早々に出鼻を挫かれた。
器用に演じ分けが出来る子も、見栄えのする立ち振る舞いが出来る子もいくらでもいる。
そこでの私は、パッとしないちょっと歳よりも老けて見えるだけの女だった。やってもやってもダメ出しばかり。何度も心が折れそうになって、その度に声優になりたい一心で稽古に打ち込んだ。
その姿勢が評価されたのか、終了公演では準主役級の配役が割り振られた。
講師だった座付の演出家の先生にも気に入られていたし、さあこれで役者の仲間入りだと呑気に信じ込んでいた。

人生は甘くなく、所属考査は不合格。与えられる役は年配の女性ばかり

人生はそう甘くはない。
8割くらいの期待感で通過できると思っていた劇団の所属考査の結果は不合格だった。
落ち込む私に、当時の恩師から「うちに合わなかっただけだから」と励ましのLINEがあった。合否の理由が公表されないのを良いことに、私は才能がないわけではなく、劇団のカラーに合わなかったのかと不合格の理由を都合よく解釈した。

まだ20代前半。大学を出たばかりの私は数々の小劇場の公演を転々とするようになる。
私よりも年長の先輩女優達が座組には多くいるにも関わらず私に割り当てられるのは決まって年配の女性の役。同い年くらいの主演、助演の女の子達が可愛い可愛いとチヤホヤされる脇で、10も20も年嵩の先輩と若いって良いわね〜なんて言いながら台本を読んでいた。
扱いの差に心折れそうになることもあったが、打ち上げのたび「30過ぎたら凄い役者になるよ」とか「若さとは別の所で採用されたのだから、それは実力を認められてのことだよ」という共演者からの励ましを間に受けて芝居を続けてきた。

小劇場の経済を回す観劇おじさんにとって、老け役の私はいないも一緒

小劇場界隈の経済を回しているのは観劇おじさんだと勝手に思っている。
彼らの多くは主演級の現役地下アイドルやグラビアアイドルの追っかけ。
そこから派生して小劇場で活動する比較的若めの女優陣にも食指を伸ばす層がいたりする。
彼らの熱量は凄まじいものがあり、一人で連日公演に通い詰め、推しの物販を買い占める。
観劇おじさんが一人固定ファンになってくれるだけでチケットノルマやバックで成り立つ。小劇場演劇にとっては大助かり。
勿論運営側も、俳優仲間でちびちびチケットを回し合う俳優よりもそういう固定客を持つ俳優陣を起用したい。
可愛らしく着飾った女優人の中で老け役ばかりの私は、そういう層に対して非常に不利だった。年齢的には若手女優でも、役柄や容姿がそう見えない。
観劇おじさん達にとっては、若くて可愛いくて見目麗しいことが大事だ。それ以外の有象無象などいないも一緒。
とある公演でそれを如実に感じた。

その公演は小劇場の収益化を試みるもので、アイドルを起用し物販を充実させるなど、意欲的だった。
同じ台本を2グループに分けて、片方のグループには目玉のアイドルや劇団員を、もう一組はオーディションで公募した役者をキャスティングする手法をとっており、私は勿論一般公募枠だった。
主演アイドルの売り上げを当て込んだ物販にはブロマイドが大量に用意されている。一方のグループだけに物販を用意するわけにも行かないので、申し訳程度に私達もブロマイドの撮影を行った。
物販に並んでいるだけで、手に取られることもない自身の写真。アイドルに遠く及ばないことは承知の上だったが、観劇おじさんが女性キャストのブロマイドを買い占める中に私が含まれていないのはなかなか堪えた。

いつか大舞台に立てるなんて夢物語。それでも「夢」をみていたかった

Twitterで公演内容のエゴサをかけても、ヒットするのは見目のいいキャストに対するコメントばかり。
そして何より物販を手伝っている中で出演キャストにも関わらず、彼らに「え?こんな子いたっけ?」と怪訝な顔をされるのに虚しくなった。
練習を頑張っても役作りに勤しんでも、印象にも残らず固定客もつかない。
同世代の役者達よりも明らかに集客が少ない私は一度は舞台に呼ばれても二度目はない。
そんな公演の繰り返しで26歳を過ぎた辺りから私は徒労感を覚えるようになっていった。

若く見えなくても可愛くなくても舞台に立てるのは演技力がある証、なんて界隈の言説は、この泥沼から役者仲間を上がらせまいとする先人達の甘言だ。
自分自身が商品である俳優業において結局女優という存在に分かりやすく求められるのは若々しく美しいことなのだろう。

地味でもコツコツ活動していればいつかは大舞台に立てるし、芝居で食っていける。
流石にそんなもの夢物語だともう理解している。

それでも、「夢」をみていたかったなあ、と寂しさを感じる私がいる。