「おまもり」にそぐうような温かなエピソードを、と思ってキーボードを数行分叩いたところで、ふと手が止まった。ざらっとした記憶がふいに思い出され、気づいたらバックスペースキーを長押しし、画面は元の真っ白な画面に戻った。
それを思い出したのは、同じ平仮名だからなのか、“心のよりどころ”や“魔法”的な意味合いがあるからなのか、理由はわからない。
「おまもり」から「おまじない」という言葉をふいに連想した私は、あのときの景色まで再生してしまった。もう8年くらい前のことのはずなのに、嫌になるくらいその記憶は鮮明だった。
◎ ◎
来たこともない飲食店の、隅のほうにあるテーブル。
私の向かいに座る、にこやかなふたりの女性。
片方は、よく知っている。職場の先輩だからだ。
もう片方は、知らない。先輩とは親しい間柄のようだった。
その知らない人が、笑顔を貼り付けたまま言った。
「◯◯ちゃんにとって、『おまじない』ってある?」
それは、新卒で入社し、少しずつ業務に慣れ始めてきた5月頃のことだった。
「今度の休日、一緒にお昼ごはん食べに行かない?おすすめのお店があるの」
そう先輩に誘われた。
最初は、純粋に嬉しかったと思う。年は離れていたけれど、社内では誰とでもフランクにコミュニケーションをとるその人は、新入社員の私にも日頃から気さくに接してくれていた。
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約束の休日、私は先輩が運転する車に何の抵抗もなく乗り込んだ。
その直後にはもう、「実は今日、友達も呼んでるんだ。20歳くらいの子と話をする機会なんて全然ないから、私もおしゃべりしてみたい!って言ってて。良いかな?」と聞かれた。
友達って誰?どうして事前に言わなかったんだろう?質問してるけど決定事項なのでは?と、頭の中では目まぐるしく疑問の言葉が飛び交ったものの、「もちろん大丈夫ですよ!」と努めて朗らかに答えることしか私にはできなかった。
この時点で小さな引っかかりは覚えていたけれど、「きっと、みんなでワイワイするのが好きな人だから」と強引に自分を納得させた。
目的地の店の駐車場で友達だと言うその人と合流し、3人で店内に入る。
人見知りの私は、会ったこともない人と同じテーブルを囲んでいることに戸惑ったものの、それでも最初は他愛のない会話があくまで平穏に続いた。
何がどうなって、話の流れが変化していったのかはもう覚えていない。
「おまじない」という唐突なワードに対して、「手のひらに『人』を書いて飲み込むとかそういうこと?」と最初は素直に考え込んでしまった。
「これといった『おまじない』は特にないですね…」と私が曖昧に笑いながら答えると、目の前に座るふたりは「私たちにはあるの。これがすごく良い『おまじない』でね…」と、効力を感じたという数々の実体験を語り始めた。
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その「おまじない」を使うためには、所定の入会手続きが必要で、朝と夕方の1日2回、決められた“ことば”を唱えることが最低限定められているという。同じ「おまじない」を使っている人達が集まる場所に時々顔を出したりはするけれど、参加は任意だし、何よりお金もかからない。
「一緒にやってみようよ!私の班に入ることになると思うから、全然心配ないよ!」
どうやらそこにはいくつかの「班」が存在し、先輩は班長を担っているらしかった。
得体の知れない空気感がテーブルの上に充満していることを察し始めていた私は、正直な感想をまず最初に言った。とはいえ相手はどちらも歳上、しかも片方とは職場でも関わり合うから険悪な雰囲気になることはできるだけ避けたかった。
「それって、宗教ですよね?」
あくまで穏やかなトーンで、私はそう確認した。しかし、「宗教ですよね?」の「?」の余韻がまだ消えないうちに、ふたり揃って「ううん、宗教じゃない」と食い気味で首を振ってきた。
私は、困ってしまった。「でも宗教じゃなかったら何なんですか?」と、さらに被せて闘う力は正直なところ湧かなかった。考えていたことといえば、「もうごはんも食べ終えたし、今すぐ家に帰りたい」だけだった。
新興宗教のことは特別詳しいわけでもなかったけれど、幼い頃、キリスト系の宗教団体が何度も冊子を渡しに直接家を尋ねてきた記憶が強く残っている。両親ともに「またか」と少し疲れたような表情を浮かべて、玄関先で軽くいなしていた。
社会的な事件を起こすような団体はもってのほかだが、その他の数多ある団体に関しても、「関わると面倒」「なんとなく不気味」、そんな印象を私も抱いていた。でも、その印象は実体が掴みにくいぼんやりしたものであって、面と向かって勧誘を受ける経験をした20歳の私は、初めてその執念を肌で感じることになった。
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その後のことは思い出すだけで気が滅入るようなものだし、話題が話題なだけに、あまり事細かに書くのは控えておく。とはいえ、「触れてはいけないものだから」「タブーだから」という空気感のせいで声を上げにくい風潮もおかしいとは思う。
結局逃げきれずに半ば強引に入信させられたものの、その後約半年かけて何とか断ち切ることができた。新入社員をターゲットにして勧誘するのは初めてのことではなく、社内的に問題視されていたことも後々知った。
それでも長年ほぼ野放し状態だったようで、「正直どうにかしたほうがいいと思います」と、私は退職時に上長に直接訴えた。1年目の時点で「もう辞めたい」と何度も思ったものの、宗教勧誘が理由で仕事を辞めるなんて何だか馬鹿らしくて、その後約4年意地を貫き通した。
例の先輩も辞めることなくずっと同じ職場に居続けたものの、感情と理性を切り離して接することに努めた。
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宗教の存在自体を否定するつもりはない。何を信じ、何を心のおまもりにするのかは人それぞれだ。「生きやすさ」はひとつの物差しで測れるものではない。
でも、パーソナルな部分に踏み込んできてまで信心を強要するのは違う。
私のおまもりは、誰でもない私が決める。だからあなたの気持ちを押し付けないで。