今でも覚えている。
閉館時間ぎりぎりまで粘って大学図書館を出た瞬間に身体を包む冷気と、頭上に広がる真っ暗な空。大学の敷地には自分以外人影が見当たらず、強いて言うなら校門近くの守衛室に明かりがついていたっけ。

「うわー、帰るのめんどくさぁ……」と思いながら、少しでも温まろうと背中を丸めて腕を組み、自分を守るようにしながら帰路を急いでいた。背中には、何冊もの参考文献が詰め込まれたリュックサックを背負いながら。
大学3年生の冬。私は卒業論文を書き始めていた。

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3年生で始まる準備期間から、4年生の提出時まで。私が卒業論文の指導を1年間お願いしていた先生は、厳しい人だった。学生たちに就活と両立しながら卒論を書くことを徹底的に求め、ちょっとした言葉遣いやマナーにもすぐに注意が入る。

3年生の冬の時点で、「卒論の土台」として、その先生からかなり大きな課題を課されていた。私は就活を始めた時期が少し早く、その時期には既に何社かの選考を受けていたので、ひいひい言いながら就活と並行で、必死で課題に取り組んでいた。その時期のスケジュールを見返すと、ほぼ全ての日に何かしらのタスクがこまごまと黒いインクで書きつけられていて、何というか、ページ全体が薄汚い。

今から思うと、「あのくらいのスケジュールで何を忙しぶっているの?情けない」という感じなのだが、当時の私からしたら精一杯だった。黒い文字で埋め尽くされたページ全体から、「Help me!」と誰かの泣き声が聞こえた気がして、慌ててスケジュール帳を閉じた。

卒論。それを完成させるまでには本当に色々あった。課題の締切ギリギリになって半泣きでキーボードを打っていた日も、指導教授から色々言われて顔に縦線入れながらやけ食いした日もあった。
提出した今は、大切な思い出、誇るべき経験として、私の胸の中に仕舞われている。

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3年生の冬なんて、まだどこのゼミの子も本格的に卒論を書き始めていなかった。「何でうちのゼミだけ……まだ就活も終わってないのに……」と一人心の中で弱音を吐きながら、図書館でパソコンと参考文献に向き合っていた私。

閉館時間になってやっと外に出てみれば、最早自分以外の学生は全く見当たらず、刺すような寒さがきりきりと体の芯まで染み込む。頭上に広がる冬の夜空は真っ暗で、底なし沼のような黒さが私の未来と重なった。

今は3年生の秋とか冬の時点で既に内定を取る子もいると聞いたけれど、当時の私の手元にはまだ一つもなかった。もし内定をもらえたとしても、そもそも卒論を出して大学を卒業しなければその内定先で働くことはできないわけだ。そして私は、就職の切符の一部になると言っても過言ではないその大事な卒論を、なかなか進められないでいた。

卒論も就活も、うまくいくんだろうか。背筋がすうっと冷たくなったのは、きっと寒さのせいだけじゃない。私はマフラーを巻き直して、足早に帰路を急いだ。

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あれから1年経った。不安で不安でたまらなかった卒論と就活は、何だかんだ無事に終わった。そこに至るまでの道は決して平坦なものではなかったけれど、終わってみればどれもこれも良い経験だったと心から思う。

この1年、指導教授の厳しさに何度も悲鳴を上げかけ、もっとゆるい他のゼミにいる同級生が羨ましくなったことは1度や2度ではなかった。しかし終わってみれば、「この先生の下で卒論を書くことができて本当に良かったなー」としみじみ思う。

厳しいのはそれだけ、私たち学生のことを真剣に考えてくれているからだ。先生のお陰で、私は前より文章を書けるようになったし、物事を深く広くきちんと考えられるようになったと思っている。

先日、先生も含めてゼミの皆で食事会をした。
「皆さんとゼミ活動ができて私は鼻が高いですよ」
先生の最後の言葉に鼻の奥がツンとしたのを香辛料のせいにして、私は微笑む。

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皆とバイバイして、一人で帰路についた。
身を刺すような冷気。真っ黒な空。あの日と同じなのに、不思議とあの日よりは寒くない、そんな気がする。

よっこいしょ。肩に掛け直したバッグは、あの日のリュックサックよりずっと軽い。
指導教授に、ゼミメンに、卒論に。別れを告げて今、私は新たな一歩を踏み出す。