私は運命を信じるタイプだ。
全てのことはご縁があって起こるのだと思っている。
目の前で電車を逃しても、突如全く違う部署への異動を言い渡されても、腹ペコなのにご飯をぶちまけてしまっても、これも運命、こういうご縁なんだと飲み込むようにしている。そうでもしないとやってられない。
そんな運命を感じがちな私が大切にしているのは、推しにまつわる「初めて」に関しての思い出だ。
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初めて見に行った舞台、内容は「なんか犬が出てきた気がする……」くらいにしか覚えていないけれど、カーテンコールでキラキラのパーカーを着て踊る推しを見た時の「今この瞬間、私はとんでもなく素敵なものを見ることができている……!」という感動は今も心の中の宝箱に、それも手前の方に置いてある。踊る推しの後ろのモニターに流れていた三平方の定理の映像も、私はきっと死ぬまで忘れない。その映像のおかげで私は三平方の定理を理解したと言っても過言ではない。
初めて見に行ったコンサート、セットリストはほとんど覚えていないけれど、歌い踊るアイドルを見て「本当に実在してるんだ……!動いてる!喋ってる!好きな曲を好きな衣装でパフォーマンスしてる!」と興奮した記憶だけはある。そしてそのライブのDVDが発売されたときに、ワクワクしながら再生したら、私が見た公演とは衣装の順番が変わっていて、思ってる衣装と全然違うやないかい!とずっこけたのも大切な思い出。
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初めて行ったディナーショー、そもそも「ディナー」の時点で「フォークとナイフはどっから使うんだっけ?!」とパニックになりながらコース料理を食べ、デザートくらいで「この後ショーを見るんだった……え、この距離で推し見るんか……」と思い出してしまい、全く喉を通らなくなった。無理やり飲み込んだので味も覚えていない。だけど、ショーで出てきたキラキラした推しの姿は脳裏に焼き付いている。舞台の上にいる推しは神々しさすらあった。その上、客席を練り歩いてハイタッチをしていく演出まであり、ここで行かねば死ぬまで後悔する!と思い、勇気を振り絞って手を伸ばし、無事にハイタッチしていただけた。こういう非日常の素敵な一瞬のためなら日常を踏ん張って生きていけると心の底から思った。
初めて仙台まで見に行ったライブ、初めて推しからお手振りファンサをいただいた。幸運なことにとても見やすくて近い席だったので、アリーナを回るトロッコに乗った推しが近くまで来てくれたのだ。私の手作りうちわを見た推しが「おっ!」という顔をして、それからにっこりした顔でひらひらっと手を振ってくれた、あのシーンは絶対に走馬灯に流してほしい。誰に頼めばいいのかわからないけど、一生のお願いを使う、だから走馬灯に流してくれ頼む。
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今までたくさんのライブや舞台を見に行ったが、やはり初めての思い出はこんな風に今も色濃く記憶に残っている。
推しがいたから出会えた友達がたくさんいるし、推しに出会わなければ行かなかっただろう場所も経験できなかったこともたくさんある。推しに出会ったことで、空っぽな私の中身が豊かになっていく感覚。1つ1つの思い出が今の私を形作ってくれているのだ。
神社もお寺もいいけれど、推しがくれたたくさんのご縁や経験こそが私にとってのおまもり。