私たちの日常で「あたりまえ」になりつつあるスマホ。そんな私たちの日常の中でスマホの存在を忘れ、無我夢中になる時間はどれくらいあるだろうか?

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私がスマホを手放す時間、それは週末だ。

讃美歌が響き、人々の笑いと涙で溢れる幸せな場所。そんな結婚式場で私は働く。結婚式というイベントは休日に行われることが多いため、この週末が私にとって働く時間である。そして、唯一スマホを手放す時間になる。もはやスマホの存在など忘れてしまう。この時間は私にとって唯一無二の時間なのかもしれない。

閑静な住宅街にぽつりと佇む一軒家のような会場。そこが私の職場である。朝8時に出勤し、夜の22時近くまで働く。これが私の週末のルーティンだ。

結婚式場で働いているということを伝えると、多くの人は「楽しそうだね」「素敵」などといった言葉を返してくる。決して間違いではないし、私はこの仕事が好きだ。だがしかし実際のところ、働いているときは戦場に近い。想像をはるかに超える仕事の量と迫りくるタイムリミットに間に合わせようと私たちは必死である。

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そんな中、私たちの原動力となっているのは、人々の生の感情である。情報化社会と化した私たちの日常において、人々はSNSを介し情報を得て、コミュニケーションをとることが圧倒的に多くなった。中にはネット上のコミュニティで活動している人もいるだろう。

そんな社会に私自身も飲まれた。年を重ねるごとにスマホに依存しているように感じる。何か困ったことがあればスマホで調べればいい。寂しいときはスマホが時間を埋めてくれる。誰かと話したいとき、簡単に連絡が取れる。そうして、日々画面上の情報ばかりを追うようになり、誰かと心を通わせる機会は減っていった。

私の週末はまさしくそんな日常からの解放だった。結婚式には多くの人が関わる。当日まで打ち合わせを重ねるプランナー、司会、フラワーコーディネーター、ギャルソンと、多くのスタッフがいて、ようやく結婚式を創ることができる。

それぞれが対話を重ね、信頼関係を築く。そして各々振り分けられた役職の元、尽力する。新郎新婦の思い描く世界観を私たちで実現させようと、みんなが同じ目標をもって前進するのだ。

ひとりではできないことでも、誰かと協働することで何倍もの価値を生み出すことができる。小さなことでも悔しさを感じたり、喜んだり、涙がでるほど感動したり。こんな感情が自分にもまだ残っていたのだと知り、恥ずかしくもうれしかった。

そして常にアンテナを張っていると、ゲストのいろいろな感情が見えてくる。久しぶりの再会に喜ぶ人たち、涙を流す友人たち、少し寂しそうに笑うお父さんお母さん。普段感情を表に出さないような人たちも、特別な日だからこそ、感情が溢れてしまう。

こんなに人の感情ダイレクトに感じる機会はなかなかない。だからこそ興味深い。これは画面越しの情報では感じられない、働く最大の特権だ。

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だから私にとってスマホを手放す時間は大切で、生きていることを感じる時間だ。全ての事柄がIT化・リモート化している時代だけれども、私たちはもっと人と直接関わる時間があってもよいのではないだろうか。