私は本心を表に出すことが苦手だ。家では自分の気持ちを何でも話せるのに、外に出ると心の壁を何枚も立てて違う自分を演じてしまう。失敗しないように、誰からも注意されないように、笑われないように、目立たないように。

中学時代は特にその傾向が強かった。そして自分と異なる性格の子がいると必要以上にその存在を気にしていた。部活の先輩が大好きな子、役職を沢山抱えている子、学校を休みがちな子など、自分の思う「普通」に当てはまらないことは何もかも変わってる!と思っていた。いつも「普通」を演じるために気が気でなかった。

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高校生になり、出席番号が隣の友人ととても仲が良くなった。

彼女は思ったことを何でも口に出す子だった。失敗談を面白おかしく話したり、理不尽だと思うことは先生にもはっきり言える、ムードメーカーキャラだった。文理選択が異なる私たちだったが、それぞれの分野で互いに励まし合っていた。

しかし高3の時に、勉強から逃げたくて仕方がなかった私はある歌手グループに熱狂的にハマってしまった。その歌手グループは決して広く知られているわけではないが、何年も活動を続け根強いファンを抱えていた。私は推し始めたばかりであり古参ファンには到底追いつけないこと、それよりも周りの皆が偏差値や推薦の成績に集中していることから、応援していることに罪悪感と羞恥心を抱いていた。

それでも心の支えであり、大事な存在だった。18歳の誕生日までは。

誕生日にそのグループが演劇をしているレアなDVDを買ってもらった。

友人から「誕生日に何をもらったの?」と言われ、とっさに「〇〇(人気アイドルグループ)のDVD」と嘘をついた。皆が好きなものを好きでいることがステータスだと思っていた私には背に腹を代えられない状況だった。友人は意外だねと不思議そうな顔をしていた。その言葉が今も心に引っ掛かっている。

私はそれまで自分の趣味や本心を彼女に伝えずに曖昧にしてきた。そのため、友人にとって私がどのように見えているのかが分からなかった。いつも一緒にいるはずなのに、急に彼女との心の距離に気付いて怖くなった。同時に、友人は私にどのくらい本音を伝えてくれているのだろう。心の壁を何枚立てているのかな。私に見せていない部分を見せられる、もっと仲の良い子がいるのかな。と、考えれば考えるほどDVDでも勉強でもなく、心にできた穴が気になってしまった。

心の穴は塞がることなく、また誰にも打ち明けることなく時間は過ぎていった。

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高校を卒業し、それぞれ大学に入って2年が経つ。成人の日を迎え、友人に久しぶりに会った。初めて会ったときと全く変わらない彼女に安心感を覚える。

中学・高校時代は周りばかりが気になり、「普通」と自分の間の埋められない差がいつも大きく見えていた。友人はいつも皆の輪の中にいて、そんな彼女こそ「普通」であり「正解」だと思っていた。

しかし、2年間異なる環境で過ごし改めて見る彼女は、持ち前の明るさとツッコミ力を発揮する、オリジナリティあふれる人だと気付いた。「普通」というものはなく、自分が勝手に作り出していた理想や思い込みだったのかもしれない。本当に輝いている人は、素直に自分らしさを表現できる人なのかもしれない。

「最近どう?何かあった?」と彼女に聞かれ、ドキドキしながら、
「好きなグループの舞台を見に行くんだ」と初めて口に出した。