約2年前、父と母が離婚した。
自分が離婚した当人ではないから、父と母には、勝手に題材にしてしまうことを申し訳なく思う。
それでも。
私は父と母の離婚と向き合わなければならないのだと思う。
物心ついたときから、父は仕事に生きる人間で、歳を重ねるごとに家に帰ってくる頻度は落ち、とうとう年に一度も帰らないことが当たり前になっていった。父親が家にいないことなんて当たり前で、普通の父親像なんてわからない。思春期特有の父親への嫌悪感は、感じる余地もなく、味わったことがない。高校生のとき、仲のいい友達から、父親がうざすぎるという話を聞いて、それが健全な家族像だよ、とむしろ羨ましいような、俯瞰している自分がいて、ドラマを見ている気分だった。

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母は、父が家にいないことをみんなにどう思われるのかをひどく気にしていて、ママ友との付き合いなど、外部との関わりは一切なかった。外部の人間が家族の話に関わってくることを拒絶していた。劣等感とずっと戦っている母の姿を、私は救ってあげることもできずに、ひたすら話を聞いていただけ。

それでも昔は、家族旅行に行ったり、夜ご飯を家族4人で囲んだり、ごくたまに普通の家族の日々が紡がれていた。父と同じ誕生日の愛犬を迎えたとき、犬嫌いだった父が、愛犬を可愛がる姿を、私、母、妹で微笑ましく眺めていたことも懐かしい。確実に、穏やかな幸せな日々は、流れていたのに。今では、跡形もなく消え去ってしまったかのような、家族関係である。

父親は自分の会社を持っていた。家族よりも社員の給料が大切だった。どんなにお金がなくてもついてきてくれた部下のため、父は全力で生きている。そこに私たち家族の存在が、入り込む余裕はなかったんだろうか。私たちは少しも父の生きる理由にならなかったんだろうか。

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9年前、当時高校生だった私は、暗黒の時代を生きている。妹が不登校となり、妹は己と戦い、母は妹と全力で向き合っていた。誰も悪くないのだけれど、家に私の居場所はなかった。このままでは、私たち家族は崩壊してしまうと思った。誰かに助けてほしかった。それでも誰に頼ればいいのか、全くわからなかった。祖父母には、母が心配させたくないとよく言っていたので、相談ができない。友達には重すぎて心配させちゃうから、言えない。学校の先生は、距離が遠すぎて、他人すぎる。保健室に行くと問題ある子って見られるんじゃないかな。カウンセラーなんて信用できないし、そもそも複雑に絡み合った家族事情を1から話すなんて、途方にくれる。今思えば、誰かに助けてと言うことだけが、必要だったのだと理解できる。でも高校生の私は、そんな勇気がなかった。

八方塞がりで、誰も助けてくれないことを悟り、私は絶望した。文字通り、目の前が真っ暗になり、自分でどうにかしていかなきゃいけないんだと絶望の中で、悟った。何もかもを諦めた気がする。
こんなに家族が絶望の淵でもがいているのに、父親はなんで助けてくれないんだろう?心配じゃないのかな?なぜ前よりも家に帰ってこないの?と疑問に感じた。父親って家族だよね?

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数年後、大学を卒業する前に、当時のことを父親に聞いた。ずっと疑問に思っていたけど、まるで他人事のようで、悲しかった、と。父親は、「他人事だったんだよね」と、あっさりと認めた。そのときに初めて、私たちが思っている以上に前から、父親は、私たちのことを家族と思っていなかったと気づいた。そのあとの話はよく覚えていない。父親は偉そうに、「辛いとき、音楽が支えてくれたんでしょ?大事にしなね」みたいな発言をしていた。どの口が言っているんだろう?

私たちは、誰も助けてくれないから、せめてもの救いとして、音楽を聴いて、必死に生き延びていた。心の生きている灯火が何度消えそうになっても、自分たちで燃やし続けてきた。そもそも家族みんなで、家族の問題と向き合うことが必要だったのではないか。そうすれば、私たちはこんなに愛に飢えて生きることはなかった。お金だけは払い続けてくれていたが、お金よりも何よりも父としてそばにいて、一緒に悩んでほしかった。ただ一緒にいてくれるだけでよかった。お金に換えられない愛を、与えてほしかったんだよ。
そんなに贅沢なことですか。周りのみんなは当たり前のように親二人分の愛情を注がれている。もともと一つが欠けていたわけではない。もともと与えられていた一つの愛が、どんどん薄れていく悲しさは、深く胸に刻まれていった。今でも、そう簡単に消えない傷跡として、私たちの体に刻み込まれている。まるでタトゥーだ。

いつから父親の気持ちは離れてしまったんだろう。明確なタイミングはわからない。皮肉なもので、小さい頃、父に教えてもらったうんちくや作家、父が帰ってきたときの食卓に響く笑い声、安心した母の天然ボケ。全部が宝物のようにきらきら輝いて、私は忘れることができない。思い出すだけで、涙が出る。

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私は何よりも家族全員で幸せな日々を過ごすことが、小さい頃からの願いだったんだと思う。みんなが笑っている顔が、私の幸せだった。
どうして私という存在がいながら、父と母の仲を取り持つことができなかったんだろう。もっと小さい頃から、家族全員で話し合う必要があると思っていたのに、なぜ実行できなかったんだろう。私はどれだけ無力だったんだろう。

父と母は、最悪な形で、離婚が成立している。母も妹も、父を恨んでいて、私が結婚式を挙げるとしても、父を呼ぶことは許せないと母は言う。当然だと思う。長年、父のモラハラに苦しんでいた母と妹。モラハラと気づかずに、誰にも相談できずに過ごした時間が長すぎた。

それでも私はいまだに望んでしまう。家族全員が、それぞれ一人の人間として、笑い合える関係を。私たちは、父を許さなければ、一生、言葉にしきれない後悔を抱えながら、過ごすことになってしまう。だってただ一人の父親だから。私の中に、父親の血が流れ続ける限り、私は私を許すことができないんじゃなかろうか。