先日、友人の離婚パーティ、なるものに参列した。いったいどんな服装で、どんな心持ちで参加したらいいか分からず、戸惑いを表明すると、「そんなに気を遣わないで。これはおめでたいことなんだから」と友人はあっけらかんと言った。
いっそ、数年前の結婚式と同じ格好で行こうかと思ったが(彼女の結婚式にも私は呼ばれていた)、それもさすがに当てつけのようである。家族に話すと、「かえって無理しているみたいで痛々しくない?」との返答だった。行く前は、私も確かにそう思った。
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ホテルの一室を貸し切りにした会場で、友人夫婦はまず、互いの薬指の指輪を抜き合った。それから皆の前で離婚届にサインした。会場から拍手が起こり、口々に「おめでとう!」の声が飛ぶ。その後は、立食パーティでお酒が入ってさながら披露宴の二次会の様相を呈した。友人は、離婚は生き方の違いからくる発展的解消である、というスタンスを崩さなかった。離婚したばかりの女性は美しい、とか、バツイチはもてる、とか言うけれど、髪にも肌にもお金をかけて着飾った友人はたしかにきれいで、傷心しているようにはみえなかった。
彼女は結婚してからも働いていたし、実家は太いし、二人のあいだには子どももいなかったので、痛くも痒くもないのかもしれない。でも、「おめでとう」と言うのは悪趣味だと思った。私はかねがね友人から離婚の報告を受けるたびに返答の言葉に詰まる。
本人同士が納得して別れ、離婚してスッキリしているなら、別に「おめでとう」でも構わないのだろうが、何だか嫌味っぽい。だから私は、常々「いろいろ大変だったね」と労をねぎらうことにしている。
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友人夫婦は表面上、円満離婚を装っているが、そんなことってあるだろうか? とも思った。数年前、熱烈な恋愛の末結婚したのに、価値観の違いといった抽象的な理由で離婚するだろうか? 友人が言わないだけで、お金の問題とか、不倫とかで、実際は泥仕合があったのではないだろうか、などと勘繰る私の考えは古いだろうか?
「オール讀物」2024年2月号では、恋愛小説の名手である村山由佳さんと千早茜さんが対談している。おふたりとも離婚経験者だが、最近離婚した千早さんは、周囲の人にそのことで腫れ物扱いされて、誰もがその話題を避けてくるのが解せない、と語っている。
千早さんの中では、離婚はまったく前向きな選択で、無用な気遣いは不要、ということらしい。別れてもなんのわだかまりもなく、たまには会ったりする、という元カップルもいる。じゃあなんで別れたの? と聞きたくなってしまうのだが、ちょっと離れた距離感の方がお互い快適、という場合もあるかもしれない。
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人のことばかり書いてきたが、私は今のところ結婚して、離婚はしていない。ただ、惰性や依存で結婚生活を続けることだけは避けたいと思っている。
結婚は契約だ、という人もいるけれど、一度契約したからといって、何も努力せず、相手からの愛情が得られると思うのは不遜だ。映画にもなった山内マリコさんの小説『あのこは貴族』には、「結婚しても、いつでも別れられる自分でいたい」という台詞がでてくる。いつ相手に離婚を切り出されても大丈夫なように、精神的にも経済的にも自立していたい、ということだろう。
安藤サクラさんは、柄本佑さんと結婚する際、「この人となら離婚になってもいいや」と思ったと、「ボクらの時代」出演時に語っておられた。それは投げやりな意味ではなく、たとえ離婚という結果に至っても、その人と過ごす結婚生活はかけがえのないものになるから、離婚しても後悔しない、ということだろう。私も夫に対しては、それに近い気持ちを持っている。そして、そういう相手と出会えたことに感謝している。