私は、いわゆる毒親である両親の元で育ち、彼らと完全に縁を切った上で、現在は夫と平穏に生活している。そして、そんな私には、両親に離婚してほしくて仕方なかった時期がある。

私が大学生の頃だった。思い込みが激しく、自分の機嫌を自分で取ることを知らず、激昂すると誰も止められない性格の母と、穏やかだが事なかれ主義者で、家庭内のことには比較的無関心な父と生活していた。

それだけでも居心地は十分良くなかったが、私が彼らと完全に縁を切ることを決意させた事件が起きた。

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母は、些細なことがきっかけである時から連夜、帰宅した父に暴行を加え、一睡もさせることなく罵声を浴びせ続けていた。父も父で、毅然と対抗すればいいものを、事なかれ主義を発動させ、なあなあな態度を取り続けた。

そして母は中途半端に反応する父に対して余計ヒートアップする、その無限ループだった。

その乱闘の中でお互い「別れる」と口では言っても、なかなか行動に移す素振りすら見せない。長きにわたる睡眠不足で大迷惑していた私は、「そんなに別れたいなら、さっさと別れればいいのに」と本気で願わずにいられなかった。それでも翌朝には2人ともケロっとしている。私の願いはそのたびに打ち砕かれた。

こんな茶番劇に参加するために、父は何ヶ月も毎晩のこのこと帰宅し続けた。やがて救急車騒ぎにも警察沙汰にも発展したが、父は驚くほど当事者意識がなかった。
連日連夜の地獄のような家庭内の空気に耐えられなくなった私が、「離婚なり別居なりしてほしい」と涙ながらに訴えても、父は「親子3人同じ屋根の下で暮らすのが一番だから」「自分は母を見捨てるつもりはない」と綺麗事を並べるだけで取り合ってくれなかった。

耳を疑った。父は自分や娘を守るための対策を講じるわけでもなく、それどころか娘の涙の訴えを簡単に退けた。比較的機嫌が良い時の母に同様に訴えても、「あんたのためなの。私たちが離婚なんかしたら、あんたが結婚できなくなるでしょ!」と一喝された。

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私は混乱していた。
子供がまだ幼く、離婚した場合子供の環境や成長に何らかの悪影響を及ぼすというのであれば、まだ離婚しない事情は理解できる。しかし、子供が成人している状況下で、離婚することの何がそんなに彼らにとって受け入れ難いことだったのだろう。
私が想像できるのは、世間体、自分の過ちを認められない弱さ、そして共依存状態の泥沼の3点である。というより、これらは互いに密接に関係している気がしている。

古い考えを持つ両親のことだ。離婚=恥であり、人生の汚点であり、身内から生涯「恥さらし」と罵られ続けても致し方ないこととでも考えていたのだろう。そんな世間体が悪い離婚など、人間的に弱い彼らが受け入れる覚悟がなかったのも頷ける。「自分の結婚は失敗した」「自分の判断は間違いだった」と正式に認めることになるし、自分の弱さ、未熟さを晒すことになるからだ。

そして、人間的に弱いから、共依存する相手がいなくなることが何より恐ろしい。空虚な世間体を維持するためには、たとえ互いが幸せになれない相手だとしても、必死でしがみつかなければならない。

ひょっとしたら、彼らは離婚するなんて気はさらさらなく、ただの脅し文句として言っていただけなのかもしれない。でもそうだとしたら、なぜ離婚の選択肢は端から排除されていたのだろう。やっぱり、根底にあるのは「離婚=恐怖」という固定観念なのではないかと思えた。

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結局は、彼らの娘である私を便利な言い訳にして、生ぬるい夫婦関係をダラダラと続けたかっただけにしか思えない。

私はむしろ、彼らに離婚してほしいと哀願していたのに、彼らのエゴを満足させるために私の存在を利用されているようで腹立たしかった。「子供のため」だなんて、なんて白々しい言葉だろうと思った。
たとえ死闘のような喧嘩を毎日繰り返そうと、それで互いの心がズタボロになろうと、醜いエゴを子供に押し付ける結果になろうと、それでも彼らにとっては離婚するよりはマシらしい。おそらく、私には一生理解できない境地だろう。

当時の両親の内情は、上記のようにあくまでも想像で語ることしかできない。それでも、互いを傷つけ合い、自分自身をも不幸に導く婚姻関係を維持することのどこに意味があるのか、私にはさっぱりわからない。人生のどこかのタイミングで、離婚が最善の選択肢となる可能性なんて、既婚者なら誰にも多かれ少なかれあるのではないだろうか。
大前提として、離婚する・しないを全く考える必要のない結婚生活を私自身は今後も送りたいものだ、というのは言うまでもないが。