今年のバレンタインはあっという間に過ぎた。むしろ、存在自体が薄かったように感じる。
かつてはバレンタインコーナーを広く設けていたスーパーマーケットやコンビニも、今年は気がつかないくらい規模が縮小されていた。去年や一昨年は自分用チョコは何を買おうかウキウキしていたが、今年はときめくチョコを見つけられなかった。
職場も同様だった。去年は同じ部署の同僚女性がデパートのチョコを差し入れしていたのを見て「この職場はバレンタインやってるのか……」とチョコを用意していなかった私は肩身が狭く感じた。しかし、今年はバレンタインのために用意したと思われるチョコがほとんど見られなかった。あったとしても、スーパーとかで買える少し高めのチョコ(200〜300円くらい)だった。
バレンタイン色が例年より薄かった今年。正直、私にとってはこれくらいが丁度いい。
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小学生の頃までは、友人とチョコを交換しあうことが純粋に楽しかった。しかし、高校生の頃、どうしてもチョコを用意できなかった年に同級生からチョコを貰って、初めて「お返ししなきゃな」とモヤモヤした義務感を得てしまった。以降、バレンタインにチョコを贈ることや貰ったらお返しすることに対して、煩わしさを感じるようになった。
大学生の頃、ヨーロッパに留学していた時期とバレンタインが重なった。海外のバレンタインデーは男性から女性に花を贈る文化がある、と聞いていた私はその光景が見られることを密かに期待していた。しかし、その年の2月14日は、花を買ったり持ち帰ったりする人はほとんど見られなかった。日本のスーパーでは当たり前の広いバレンタインコーナーも、現地のスーパーでは小さな移動棚に、ハートモチーフの雑貨が数種類置かれているだけだった。フランスやイタリアなどはもっと盛り上がるのかもしれないが、私の留学先の国では、それほど大きなイベントではないようだった。
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この経験を踏まえて、改めて日本のバレンタインの盛り上がりは異色なのだなと思った。もともとキリスト教由来で聖人を讃える日(というのが1つの説)なのに、日本では大量のチョコがひたすら販売されている。2月14日を過ぎて、値引シールが貼られたおしゃれなチョコを見ると心が痛くなる。
また、もともと好きな人に贈るイベントだったのに、家族や友人、職場の人など渡す対象が増えた。「チョコを用意していないことに不満を抱かれたらどうしよう」とヒヤヒヤすることもあった。友人の働く会社で「バレンタイン禁止」が就業規則に定められていることに対して、羨ましく感じた。
今年はそんなモヤモヤした感情はほとんど生まれなかった。そのせいか、気が楽だった。
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年齢を重ねてからのバレンタインは疲れる。言い方は良くないかもしれないが、そこまでお祭り騒ぎしなくてもいいんじゃないか、と思ってしまう。
バレンタインに限らず、人に何かを贈る時、差し入れする時は、社交辞令や義務感なしで、さりげなく渡せたらいいなと思う。「クリスマスなのにプレゼントくれなかった」「誕生日プレゼントのお返し、貰ってないんだけど」。そんな理由で人間関係にヒビを入れたくない。
先日、私の好きなスイーツ店とコラボしたチョコ菓子をコンビニで見つけて、職場にお裾分けした。想像よりも評判が良くて嬉しかった。「このスイーツ店知らなかった」「監修者が◯◯さんそっくりだ」と会話も広がった。私としては、これで十分だ。
来年以降のバレンタインは、モヤモヤを振り払い、どっしり構えていよう。何か差し入れをいただいたらありがたく頂戴し、それを仕事の成果や相手への振る舞いで返したいと思う。