朝、出勤して上司とすれ違う。いったいどれくらいの距離になったら挨拶をすれば良いのか。

「おはよう今日寒いね」
「お、お、おはようございます」

立場上かなり上の方から、にこやかにいわれ慌てて返事をした。しまった。またやらかした。なぜ自分から挨拶をする、たったそれだけの行為ができないのか。その日の最低気温は氷点下。にもかかわらず、首筋から耳まで真っ赤になり、湯気が立ちそうなほどのほてりを感じた。朝、会う人に「おはよう」と頭を下げるだけなのに。

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自分で自分の行動や心の動きがつかめない以上、他人に理解をもとめるのは無理だ。挨拶だけで直立不動になるほど緊張する。だからいわゆる、ほう・れん・そうは、もってのほかだ。受けた電話の内容をそのまま伝言をするだけでも、脳裏で何度も言葉を練り、文章を組み立てシュミレーションを繰り返さなくてはならない。30代前半までは「そのうち、できるようになる」と励まされていた。が「そのうち」は来ないどころか、年齢を重ねるたびに悩みは深まる一方。41歳になった今、簡単な挨拶や伝言さえもまともにできないために、ひと回り以上年下の人から馬鹿にされるが、真実ゆえにどうにもできない。

対人関係で切羽詰まるたびに決まって、ある事件を思い出さずにはいられなくなる。

それは、入院患者の点滴に消毒液を混入して中毒死させた元看護師の久保木愛弓被告が、2021年に無期懲役の判決を言い渡された一連の騒動。

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横浜市の大口病院(現・横浜はじめ病院)で2016年9月に発覚した「点滴殺人事件」は衝撃的だった。同年7月以降、終末期病棟に入院していた48人もの患者が次々亡くなる事態が発生していた。そのうち3人に対する殺人罪などに問われているのが久保木元看護師。彼女が犯行に手を染めた理由は「自分の勤務外に患者が死亡すれば、他の看護師が遺族に説明してくれる」というものである。世間では身勝手極まりない犯罪と思われるかもしれぬ。もちろん、被害者と遺族の立場を思えば本当に無念きわまりない。が、私は被告がもらした「遺族に説明をするのが面倒」という言葉を知った時、「これは他人事ではない! 」と全身に電流が走るようなどうしようもない感情がこみあげてきた。私は看護師にならなくてよかったと強く思った。もっとも、鶴が折れないほど不器用な上に、分数の計算もろくにできないくらいに勉強が苦手な私に看護師免許など取得できないが。

同元看護師は、患者が死亡した際に、上手く対応できず、遺族から「この看護師に殺された! 」と罵倒されパニックに陥る。再び自分の勤務時間内に患者が亡くなれば同じように責められるのでは……。強い不安を感じるようになり、過食や睡眠薬を大量に服用しはじめる問題行動に走るようになった。そして、ついに同僚の看護師に、被告が消毒液「ヂアミトール」のボトルを隠し持っている現場を発見され、逮捕される。

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1審の横浜地裁で、死刑判決が出なかった理由の中に「看護師としての適性のなさを自覚しながら、患者が死亡した際、家族から怒鳴られた際にうつ状態になるが、退職の決断がつかないまま仕事を続け、ストレスをためこみ、患者を消し去るしか方法がないという短絡的な発想に至った。動機形成の過程には被告人の努力ではいかんともしがたい事情が色濃く影響している」といった言葉があり、私は新聞を読みながら涙が止まらなくなった。

夕方、タイムカードを押すと逃げるように、私はバス停を目指して走る。つくづく組織の中で働いていく適性はないが、死ぬまで何としても仕事をしなくては。努力では「いかんともしがたい」不器用さと社会性の乏しさを抱えているが、せめて挨拶だけでも普通にできるようにしなければならないのだが、いったい何をどうすればいいのか、どうしようもないほど悩んでいる。